倉橋健一 寄稿 最下層に向けて開く目――韓国の情況に屹立する金芝河 『週刊読書人』1974(昭和49)年10月7日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年10月27日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1049号)

倉橋健一 寄稿
最下層に向けて開く目――韓国の情況に屹立する金芝河
『週刊読書人』1974(昭和49)年10月7日号 1面掲載

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第2回
ほんとうの意味での異土に

金芝河氏
不用意な発言はすまいということばにたいする抑制的な気分にいたるまえに、圧倒的な民衆はきびしい生活の緊張によって、心の状態を外側に晒す機会を自ら閉ざしているようにも私にはみえたのである。一様にかたく沈黙しているようにみえるのは、ほとんど胃袋の底にまで、単調で長い生活が降り切ってしまっているからである。むろん、私の朝鮮紀行はひとりの妓生をみたわけでもなく、夜には東大門市場をめぐったり、マッコルリのある酒幕ジュマクにいただけである。シンナーの匂いのむせかえるなかで、いたいけな少女たちがすし詰めになってミシンを踏む転転とつづく作業場をみただけである。
あるいは私の印象は、一片の誤解ないしは偏見として葬りさられる一面性によってのみなっているかも知れない。しかしそこに私がみたものは、それまでの私の経験であった日本語をかたれる朝鮮人から受感する朝鮮とはあきらかにちがっていた。茶房で私は、実用韓国語会話を聞いて、発音に慣れぬゆえに、指で必要の日本語をさした。マッチをもってきてください、をさすと、それに並ぶソーグニャング カッタ チュセヨをみて、幼ないウエイトレスたちは腹を抱えて笑ったのである。つまり、私は、朝鮮人と相対する関係において、はじめてほんとうの意味で異土にいたのである。
〈三島由紀夫の死に反対する。三島の死が含んでいるあらゆる意味、政治的なものであれ、芸術的なものであれ、いっさいの社会的な意味にたいして私は反対する。ただ、個人的なもの、ひとりの人間の生命の終息がもたらす悲しみのみを受けいれる。(中略)なぜならばかれの死はあきらかにわれわれの死、韓国民族のいまひとたびの魂の死を呼ぶ身の毛もよだつ軍歌であるからだ〉とかつて金芝河キム・ジハは書きとめたことがあった。〈あさま山荘〉の銃撃戦がおきたとき、在日朝鮮人詩人である金時鐘キム・シジョン は〈どうあれ確かに信じられることが一つある。「連合赤軍」の起した撃鉄は、決して朝鮮人の私には向けられるはずのない銃口であった〉とかきしるしている。
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