大洪水の後で 現代文学三十年 書評|井口 時男(深夜叢書社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月2日 / 新聞掲載日:2019年11月1日(第3313号)

大洪水の後で 現代文学三十年 書評
世界が浄化された、その後に
信念を貫かざるを得なかった、ヒリつく生の軌跡 批評家とは生き様で語るもの

大洪水の後で 現代文学三十年
著 者:井口 時男
出版社:深夜叢書社
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 井口時男は、一九八三年に「群像」新人賞評論部門を受賞してデビューした文芸批評家である。本書『大洪水の後で 現代文学三十年』は、一九八八年から二〇一八年までのおよそ三〇年の書評や時評、エッセイなどをまとめたもので、井口時男という批評家を知るための絶好の入門書である。

その理由は、単著と並行して書かれたエッセイが収録されているため、直接的にその思想のエッセンスを知ることができることにある。もうひとつの理由は、「今日の状況とリンク」する内容を筆者自身の手で厳選しているから、現在の読者が関心を持ちやすいことである。

その批評家としての主題を一言で言えば、「ポストモダン化していく日本社会との抗争」である。「根底」を失い、言葉が軽くなっていく状況への強い違和と、苛立ちが、全編を貫いている。

時代と対峙し守り通そうとしたものは、井口の言葉を使えば「貧しさ」と「田舎」である。言い換えるならば、人間が自然や大地や歴史に根を持ち、それらとのつながりを真に深く身体化していた時代の生であり、言葉であり、文学である。

身体障害者を「シンちゃん」と呼ぶ中学生についてのエッセイから、本書は始まる。言葉は「断片化し、記号化し、軽く明るくなって」いき、「言葉の歴史」「内面の重たさ」は失われる。「ポストモダン現象」である。これは「現在のネット言語に代表される悪意ある嘲弄や空疎な『ケレン』ばかりの言語使用の様相の隠れた淵源」だったのかもしれないと位置づけられている。

九〇年代には、井口は「マイナー文学」の擁護に向かう。ポストモダン文学の全盛期、村上春樹や吉本ばなな、高橋源一郎に正面から批判を行い、むしろ大江健三郎、中上健次、車谷長吉、室井光広の側についている。この批評家としての決断と、勝負の局面の緊張感と高揚が、読んでいるこちらにも想像されて、手に汗を握る。「マイナー文学」の方へ向かう決断は、自身が「マイナー文学」になる危険も当然伴っているが、それも覚悟していただろう。時代の流れの大勢は、しかし、井口の望んだ方向には進まなかった。敢えて言えば、批評家としての「賭け」に負けたのだ。

しかし、感動的なのは、それでも、世の趨勢に媚びず、信念を曲げず、自身を支えながら進む、よろよろとした歩きぶりの方である。自分が信じた「文学」が「終わった」との認識を吐露するようになる二〇〇〇年代、井口はサブカルチャーやインターネットの影響を受けた文学を「中学生式」と呼び、その幼稚な暴力性の中に、己が望む「文学」の欠片を探そうとする。二〇一〇年代には、東日本大震災という巨大な破局の後に、可能性を探っている。

反時代的な立場は快いものではないだろう。しかし、そう生きるしかない実存というものがある。媚びた方が安全だっただろう。迎合した方が売れただろう。しかしそれでも、それをせず、不遇も覚悟で信念を貫かざるを得なかった、そのような生の軌跡によってこそ、擁護しようとしたものが説得力を持って読者に伝わってくることがあるのだ。批評家とは、このように生き様で語るものなのだ、ということが、本書からはヒリヒリと伝わってくる。

タイトルになっている「大洪水」とは、東日本大震災の津波と、「電子メディアと視聴覚直接刺激メディア」の急速な普及のことだという。そして『大洪水の後で』というタイトルは、ランボーの『イリュミナシオン』から採られている。ランボーの詩では、大洪水で世界が浄化され、自然と生命の活力が回復され、隠れていた宝石たちが表に出てくる。そのような願いが込められている、と言っていいだろう。

三〇年越しの勝負の行方は、まだ分からないのだ。
この記事の中でご紹介した本
大洪水の後で 現代文学三十年/深夜叢書社
大洪水の後で 現代文学三十年
著 者:井口 時男
出版社:深夜叢書社
以下のオンライン書店でご購入できます
「大洪水の後で 現代文学三十年」出版社のホームページはこちら
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