罪の轍 書評|奥田 英朗(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月2日 / 新聞掲載日:2019年11月1日(第3313号)

罪の轍 書評
何が「罪」の轍を刻みつけたのか
近年の警察小説の白眉となる作品

罪の轍
著 者:奥田 英朗
出版社:新潮社
このエントリーをはてなブックマークに追加
罪の轍(奥田 英朗)新潮社
罪の轍
奥田 英朗
新潮社
  • オンライン書店で買う
 警察官を主人公とするミステリーは、二つの要素から成り立っている。

一つは警察官の群像を、彼らの息づかいそのままに読者に伝えることである。もう一つは犯罪がなぜ起きたのか、という因果関係を明らかにすることだ。犯罪は社会の軋みによって引き起こされるものだから、その背景を抜きに語ることはできない。最も読者の関心が集中するのは犯人の動機、その心の奥にある人格はいかなるものかということである。奥田英朗『罪の轍』は、この二つの要素を完全に描き切り、近年における警察小説の白眉となった。

物語は中盤に大きな仕掛けがあるのだが、前半部だけを見ても、警察小説としてはほぼ完璧である。舞台は一九六三年の東京に設定されている。独居老人が強盗の仕業と見られる形で殺害され、警察の捜査が始まる。視点人物の落合昌夫は警視庁捜査一課に属する若手、彼と組むことになる南千住署の大場は古参の叩き上げで、落合のような大卒の刑事が現場に回されてくるのを必ずしも歓迎しているわけではない。この二人の組み合わせによって、新旧二つの体質が混在している当時の警察事情を作者は浮かび上がらせる。

やがて重要参考人として宇野寛治という青年の名が浮上してくるが、読者は刑事たちよりも前に、彼が地元では窃盗の常習犯であったことを知らされている。金品を盗むことになんの抵抗もない宇野は、倫理観の壊れた人間のように見えるのだ。落合たちがいつ宇野を捕らえ、犯罪者の心理を明らかにするか、という点に前半部の関心は集中するだろう。

その関心が高まり切ったところで意外な事件が起きる。六歳の鈴木吉夫がいなくなり、家に身代金を要求する電話が掛かってきたのである。落合もこの事件捜査に駆り出されることになる。ここで作者が巧妙なのは、宇野寛治という男を物語の背後にいったん引っ込めたことで、顔が見え始めていた人物が再び闇の奥に消えたために読者の不安は高まる。宇野寛治を本当に理解できていたのだろうか、という疑念がさらにページを繰らせる原動力になっていくのである。彼の心の中にあるものを見るまで、読者の焦燥は止むことがない。

少年誘拐は現実に起きた有名事件を下敷きにしており、初動ミスによる捜査失敗の展開などもそれを踏まえている。当時も警察に対する批判の声は大きかったはずだが、インターネットなどで批判の意見が拡大することの多い、現代の世情もそれに重ね合わされている。残虐な事件が起きると犯人の怪物的な側面ばかりが強調され、インターネットにも流れて事実であるかのように定着していく。そうした紋切型の犯罪者理解のありようにも作者は一石を投じている。最後に判明する犯人に、読者は果たして憎悪をぶつけられるだろうか。

轍とは、車輪が刻み込んだ溝のことである。罪の轍というものがあるならば、それもまた空虚な溝であろう。何がそれを刻みつけたのか、という問いを残して物語は幕を下ろす。
この記事の中でご紹介した本
罪の轍/新潮社
罪の轍
著 者:奥田 英朗
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「罪の轍」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
杉江 松恋 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学 > ミステリー関連記事
ミステリーの関連記事をもっと見る >