欲望の主体  ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義 書評|ジュディス・バトラー(堀之内出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月2日 / 新聞掲載日:2019年11月1日(第3313号)

欲望の主体  ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義 書評
ヘーゲル的主体のアレゴリーとしてのヘーゲル受容史 

欲望の主体  ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義
著 者:ジュディス・バトラー
翻訳者:大河内 泰樹、岡崎 佑香、岡崎 龍、野尻 英一
出版社:堀之内出版
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 『欲望の主体』はジュディス・バトラーの最初の単著であり、彼女のジェンダー/クイア理論の読者の多くにとっては意外かもしれないが、二〇世紀フランス思想によるヘーゲル哲学の受容を主題としている。一九八七年に原著が出版された本書は彼女の博士論文を基にしており、彼女がジェンダー/クイア理論に移行する前の「若書き」(二二頁)の印象もあるが、以下では、本書で扱われたヘーゲル解釈やヘーゲル批判が以後の彼女の仕事を深く規定している点を明らかにしておきたい。

本書でバトラーが採用するヘーゲル解釈の基本戦略は、ヘーゲルが『精神現象学』で描く主体は自己同一的主体ではなく「生成変化[becoming]」(七二頁)の主体であり、「常に自分自身の外に自分自身を見出す」ような「脱自的」で非同一的な主体である(三六頁)、というものだ(この解釈自体、ポスト構造主義的なヘーゲル批判の影響を受けているようにも見える)。ヘーゲルが『精神現象学』の「自己意識」の章で述べるように、主体は他者との間で展開される弁証法的関係を通じて、絶えず異なった存在へと生成変化していくのであり、そうした脱自的主体の生成変化の動因をなすのが、本書の主題を構成する「欲望」、すなわち「他者性[alterity]の領域全体を主体自身の反省の運動として見出す」力能(四〇頁、訳文変更)である。こうした読解は、コジェーブが『ヘーゲル読解入門』で「主人と奴隷の弁証法」を特権的に論じて以来、二〇世紀フランス思想のヘーゲル読解を規定する基本戦略であり続けてきた。

バトラーは本書において、脱自的で生成変化する主体という彼女のヘーゲル読解の戦略を、二〇世紀フランス思想のヘーゲル受容史の記述そのものにも適用しているように思われる。コジェーブによる「主人と奴隷の弁証法」の歴史的主体化、すなわち構成員全員の相互承認という民主主義的プロジェクト(それはバトラーの後のクイア理論における、棄却された同性愛的主体の承認要求にも影響を与えただろう)は、イポリットによって、死に向かう主体による絶対者の探求というハイデガー=キルケゴール的プロジェクトとして読み替えられ、さらにサルトルによって、自己と他者の間の眼差しの弁証法(欲望はそこで常に、他者に起因する「トラブル」に付きまとわれる)、また、想像力による主体の欠如の乗り越えという実存主義的プロジェクトとして読み替えられる。そうしたヘーゲル主義は最後に、ラカン、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの(ポスト)構造主義によって、主体の同一性を想定するヘーゲルを仮想敵とした、主体の同一性解体のプロジェクトへと否定的に生成変化する(ただし、彼らのヘーゲル批判の中にも、「主人と奴隷の弁証法」のニーチェ的読み替えといった形で、ヘーゲル主義の亡霊が執存する、とバトラーは強調する)。このように本書において、二〇世紀フランス思想によるヘーゲル読解の生成変化そのものが、『精神現象学』でヘーゲルが描いた脱自的主体の生成変化のアレゴリーになっているのである。

バトラーのジェンダー/クイア理論との関係で重要なのは、(ポスト)構造主義によるヘーゲル批判を扱う第四章(博士論文に対して新たに書き足された章)である。欲望はファルスを通じて本質的に男性的なものと位置付けられ、決して女性には割り当てられない、というラカン批判は以後の彼女のジェンダー/クイア理論の重要なモチーフとなり、『ジェンダー・トラブル』、『問題=物質となる身体』においてさらに展開される。そして、そうしたジェンダー的同一性を壊乱する戦略として用いられるのが、やはり本書第四章で分析される、デリダ的な意味の位置ずらし=差延(後に反覆と関連付けられて展開される)の戦略であり、フーコー的な法的=言説的権力のエロス化による転覆という戦略なのである。また、フーコーが提起する、身体への「出来事の書き込み」は、身体への規範の書き込みによるジェンダー的同一化として読み替えられ、壊乱の対象となるだろう。

本書の翻訳は、バトラーの凝縮された理論的分析を丁寧かつ読みやすく訳した労作であり、積極的に評価したいが、一点だけ指摘しておきたい。agencyというバトラーの鍵概念は、「行為体」ではなく「行為能力」と訳されるべきだろう。フィリップ・サボによる本書の仏訳や『問題=物質となる身体』の仏訳は、agencyをほぼ一貫してpuissance d'agir(行為能力=力能)と訳しており、『ジェンダー・トラブル』仏訳も、capacité d'agir(行為能力)という訳語を採用している(この訳語はバトラー自身が承認したものであり、評者もその点を著者に確認したことがある)。またドイツ語でも、Handlungsfähigkeit、Handlungsfähigkeit(行為能力)という訳語が定着している。agencyを「行為体」と訳すと、agent(行為主体)との区別ができないだけでなく、agencyがスピノザの「コナトゥス」にも似た主体の力能(後のバトラーの著作でしばしば抵抗の力能と位置付けられる)である点が理解できなくなるのである。訳語は研究の進展によって絶えず見直されるべきであり、それこそが日本におけるバトラー理論の理解をさらに深化させるきっかけとなるだろう。
この記事の中でご紹介した本
欲望の主体  ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義/堀之内出版
欲望の主体  ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義
著 者:ジュディス・バトラー
翻訳者:大河内 泰樹、岡崎 佑香、岡崎 龍、野尻 英一
出版社:堀之内出版
以下のオンライン書店でご購入できます
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