改組 新 第6回日展 開催を機に 現代的で大胆な書の世界 書家・黒田賢一氏インタビュー|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年11月1日 / 新聞掲載日:2019年11月1日(第3213号)

改組 新 第6回日展 開催を機に
現代的で大胆な書の世界
書家・黒田賢一氏インタビュー

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姫路駅から車で十五分ほど、閑静な住宅街に書家の黒田賢一さんのアトリエがある。姫路に生まれ、二十二歳で日展初出品初入選という驚くべき若さで頭角を現し、戦後生まれで初めて審査員を務め、現在、日展理事として後進の指導にもあたられている。その作風は、かな古筆の関戸本古今集、一条摂政集、光悦書状に現代性を加味したもので大胆な大字かなを中心に独自の世界を確立してきた。明るい日差しの入る応接間で、これまでの出会いや歩みを伺った。      (編集部)
第1回
西谷卯木先生との十九歳での出会い

黒田 賢一氏


昭和二十二年、姫路に生まれた、団塊の世代の黒田賢一さん。戦後間もない頃は、読み書きそろばんの時代で、村の公民館でお寺の住職さんが習字を教えており、黒田さんもそこに習いに行っていたという。「ただ、当時は、『正しい姿勢は正しい心から』と三回唱和してから練習をしていました。また、たまには振り向いた子に墨をつけたりと、遊びも楽しかったです」

中学・高校時代は新聞部に所属し、卓球をしたり、書道からは離れていたが、高校三年の時、きれいな字が書きたいという単純な発想から、姫路の先生にまた習い始めたという。すると、その先生が「日展の審査員で西谷卯木というかなの先生が月に一度来られているので君もそこへ行ってみるか」と声をかけてくださった。半紙ではなく半切などに書いて持っていったら「ちょっと面白い字を書くな」という感じで、その後、習いに来るよう言われ、神戸の長田にある西谷先生の家に通うようになった。

西谷先生は左腕がなかった。正筆会の創始者で文化功労者の安東聖空先生の番頭役であったが、神戸の空襲で焼夷弾の直撃を左腕に受けるという惨事に見舞われたのだ。左腕を失い悩んでいる西谷先生を心配した安東先生に「両腕があるというのは相対。片腕になるということは絶対。だから絶対に勝るものはない」と励まされ、この発想でハンディを逆手にとって奮起し、日展の大臣賞を受賞、評議員までなられた。弟子には優しい先生だったという。

黒田さんは、西谷先生の所へ行くようになって本格的にかなを始め、先生の書のすばらしさと共にその人柄に強く惹かれ、書の道にのめり込んでいった。

日展に出す前には二泊三日の錬成会がお寺で開かれ一五〇人ほどが集まりひたすら練習し、眠くなったら毛氈の上で紙をかぶって寝る。そういうことが当たり前で、みな必死だった。折しも改組第一回目の日展の時、以前は二、三割あった入選率が一割になっていた。日展に入選するのはたいへんなことだと先生から聞いていて、「一生のうち一回くらいは入選したい」という願いがあった。そうしたなか、黒田さんは初出品で初入選の快挙を成し遂げる。二十二歳の時だった。

「神戸で、先生から『入選したぞ』と言われ、そこから家にどうして帰ったか覚えていないくらい嬉しかったです。その後、会の研究会があり、『初入選した者は皆の前で席上揮毫せよ』と言われ、緊張し手が震え、文字が書けなかった思い出があります」

その翌年も入選したが、次は二回連続で落ちた。「なぜか」と悩んだが先生からの明確な答えはなかった。しかし、進む方向は自分なりに間違っていないと思い、気持ちを強く持って迷わず続け、その後は連続入選を果たした。
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