新たな語りの創出、記憶を手渡す困難    宇佐見りん「かか」、高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年11月3日 / 新聞掲載日:2019年11月1日(第3213号)

新たな語りの創出、記憶を手渡す困難 
宇佐見りん「かか」、高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」

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今月は新人賞受賞者(受賞後第一作含む)の作品に限って評す。

全部で四作が受賞した。このなかでもっとも私の心に刺さったのは、宇佐見りん「かか」(『文藝』)。浪人生の「うーちゃん」なる語り手は、「かか」(母親)への愛憎入り乱れた感情を抱えて育った。「うーちゃん」の成長過程で、母親が母なる役割を担うことができなくなってしまったことで、母娘の関係性は脱臼したものになってしまっている。この脱臼を修復すべく、「うーちゃん」は熊野へ旅に出る。小説は、娘が母の像を、そこにある原的な負荷を、乗り越えるのではなく、娘のなかに母を取り込み、母を生きることで、親子という関係を捉え直そうとしている。そのために作者が試みたのは語りの創出だ。小説の全編を貫くのは、一見すると、方言に似た言葉遣いだが、実はそれは母親が作り出した人工的な方言だという。語り手は、愛の、憎しみの対象である「かか」の奇妙な言葉遣いを意識的に身体化させることで、母親に対する負債の感情を、膿を出すように、にゅるっと取り出す。そのため小説は重力の強い惑星にぷかぷか浮く風船のような、不思議な浮遊感を持つ。ありふれた親子モノとは一線を画した秀作だ。

『文藝』からはもう一つ受賞作が出た。遠野遥「改良」。幼い頃に性的な暴力を経験した「私」は、いつ頃からか、女装を趣味とするようになった。「私」は「痛み」を封じ込めながら、美しさにこだわり続ける。だけれど、世界は「私」を逸脱者としてみなし、ある者は簡単に理解しようとし、ある者は惨い暴力を振るう。ここにあるのは単純なセクシャルマイノリティの被害像ではない。もっと複雑な、アイデンティティを守るための闘争。自己の抱える痛痒と向き合うための記録。世のなかの暴力を告発するだけにとどまらない、非凡な作品である。

大森靖子が率いるアイドルグループZOCに『断捨離彼氏』という曲がある。「そんな彼氏別れちゃいなよ!」というフレーズが印象的なポップスだ。高瀬隼子「犬のかたちをしているもの」(『すばる』)を読みながら耳の奥でこの曲がガンガン鳴っていた。卵巣腫瘍を切除した経験を持つ「私」は、セックスへの忌避感から彼氏と性交渉のない日々を送っている。ある日、彼氏が「私」に女友達を紹介してくる……と、その女性のお腹には彼氏の子どもが宿っていた。女性は子どもを産み、彼氏と形式上結婚するが、子どもと彼氏もろともくれてやると伝える。戸惑う「私」。浮気ではないと泣きながら訴える彼氏。彼氏の優しさを信じようとする「私」。女性の計略通り、お互いの両親に挨拶する彼氏。(そんな彼氏別れちゃいなよ!)それでも彼氏と離れることができないほどに「私」の自己肯定感は低い。だが、この「低さ」から不定形なものを探し彷徨う「私」の述懐は、物語に確かな「形」を与えている。とはいえ、あんな彼氏とは別れさせてほしかったな。

中西智佐乃「尾を喰う蛇」(『新潮』)は、介護福祉士の興毅を視点人物に置く。彼の勤める病院に入院している老人たちは戦争経験者だ。本作が戦争小説として、思弁性を持っているとしたら、それは主人公を老人たちに容易に近づけさせないところにある。作中、彼らを引き離す手段として、「臭い」が効果的に用いられている。老人たちの放つぷんっとした臭いに興毅は露骨な嫌悪感を示す。ここで、作者は弱体化した戦争経験者と、現代に生きる若い人間との間にどうしても存在する「隔たり」を見つめている。物語は、寄り道をしてしまい長くなってしまった感こそあるが、戦争の暴力を「わからない」ものとして引き受ける手がかりを示した。

受賞後一作目の小暮夕紀子「残暑のゆくえ」(『小説トリッパー』)も戦争の記憶と対峙しようとする作品だった。卒寿と喜寿ほどの老夫婦が、満州で起きたかもしれない暴力を、ようやく朧げに思い出していく。だが、作者はその情景をどうやって現代に映し出せば良いか最後まで迷っている。戦争の記憶を手渡す困難を前に答えを出せていないのが残念だ。(ながせ・かい=ライター・書評家)
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