出版と流通 書評|横田 冬彦(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2016年12月16日 / 新聞掲載日:2016年12月16日(第3169号)

出版と流通 書評
古い問題はみな新しい
150年以上前、日本の本はどのように作られ、流通していたか

出版と流通
出版社:平凡社
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出版と流通(横田 冬彦)平凡社
出版と流通
横田 冬彦
平凡社
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出版社がつくった本を、取次が全国の書店に卸し、読者が購入する。「通常ルート」とも呼ばれるこの流通システムが、いまあちこちでひずみを見せている。出版社が取次を通さずに書店に直接卸す本も増えているし、なかには『超訳ニーチェの言葉』(ディスカバー・トゥエンティーワン)のようにベストセラーになる本もある。またビジネス雑誌はどこも読者直販の定期購読者獲得に力を入れている。リトルプレスやZINE(ジン)も盛んだ。電子書籍では出版社も取次も通さないセルフ・パブリッシングが増えている。もちろん以前から、「通常ルート」以外の多様な流通ルートが存在した。
「通常ルート」(以前は「正常ルート」と呼ぶ出版業界関係者も多かった)は永久不滅のものではないし、本が誕生したときからこのシステムで流通していたわけではない。150年以上前、日本の本はどのように作られ、流通していたのかを知ることは、ポスト「通常ルート」を考える上でも大いに参考になる。横田冬彦編『出版と流通』は、近世日本の出版文化史をさまざまな視点でとらえたシリーズ「本の文化史」の第4巻となる論文集である。

たとえば藤實久美子「三都の本屋仲間」を見ると、幕府による取締りと、本屋仲間=同業者組織による、上からと下からの統制があったことがわかる。三都とは京都・大坂・江戸で、江戸時代に出版が盛んだった都市である。現在の出版業界には所轄官庁がない。著作権問題などに関して文化庁との交渉が生じることがあるが、基本的に他業界のように指導を受けたり陳情したりするような関係ではない。江戸時代のような(あるいは戦前のような)、目に見える形での上からの統制は戦後はない(目に見えない形での統制がないとは断言できないが)。しかし、下からの統制が戦後もなかったとはいえないだろう。既得権益を守ろうとする者たちは、ときとして排他的になり、外部からの参入を拒もうとする。

また、藤實は本屋仲間に階層性があったことも指摘するが、これも現代日本に残っている。雑誌は書籍より軽んじられ、娯楽出版物は学術出版物より価値の低いものだと思われがちだし、それにたずさわる人間も同様に見られる。世の中、変わるものもあれば、変わらないものもある。

万波寿子の「仏書・経典の出版と教団」も興味深い。読経の際に僧侶や信徒が使う経典は、いまも「通常ルート」ではなく、教団や教団関係の出版社がつくり、本山から末寺へというルートで流通することが多いが、そのルーツは江戸時代前期にあることがわかる。本末制度(本山―末寺のヒエラルキー)や各宗派檀林による知と権威の独占などは現在にも一部が残る。教団が勢力拡大のために出版物を積極的に利用しようとしたり、一般の本屋が仏書を出版しようとするのを止めようとしたり、本がたんに読まれるだけのものでなく、商品であり支配力の源泉でもあることを再認識させられる。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」で始まる松田泰代の「近世出版文化の統計学的研究」には考えさせられた。このウィトゲンシュタインの言葉は、「今日までに伝来し、現存している江戸時代の和本や写本はどのくらいあるのか。その数量、内容、種類、時期、所在分布図などのデータ分析から、何がわかるのか」という問いへの答えだ。一見(手間はかかるかもしれないけれども)簡単そうに思えるこの問いも、(ウィトゲンシュタインが「語り得ること」を規定しようとしたごとく)厳密に、かつ誠実に対処しようとすると、きわめて難しいことがわかる。本とは何か、テクストとは何か、本の同一性とは何か。一部だけ作られた手書きした文章の束は本か。それを書写したら? 書写するときにテクストを改変したら? 次々とわいてくるこれらの疑問は、電子書籍時代に私たちが直面していることとも通じる。古い問題はみな新しいのだ。
この記事の中でご紹介した本
出版と流通/平凡社
出版と流通
著 者:横田 冬彦
出版社:平凡社
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