磯田光一 寄稿 「戦略的降伏(ストラジック・サレンダー)」理論の位置――戦後三〇年目の軍事思想 『週刊読書人』1974(昭和49)年8月19日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年11月3日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1042号)

磯田光一 寄稿
「戦略的降伏(ストラジック・サレンダー)」理論の位置――戦後三〇年目の軍事思想
『週刊読書人』1974(昭和49)年8月19日号 1面掲載

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1974(昭和49)年
8月19日号1面より
戦後30年をまもなく迎えようとする1974年の8月に組まれた巻頭特集。第二次大戦後も朝鮮やベトナムなどアジアの戦争が勃発するなかで、日本国内では先の大戦や、その後も起こる戦争を論じる評論が30年間のうちに多く発表された。本稿では作家の小田実氏が「群像」に発表した論考に返答する形で、文芸評論家の磯田光一氏が吉本隆明、中野孝次、永井陽之助らが以前発表した評論を参照しながら、弊紙に寄稿した”戦争観”を論じた評論を紹介する。(2019年編集部)
第1回
歴史から何を学んだのか?

さきに中野孝次氏と入江隆則氏との論争をめぐって、「東京新聞」に『昭和以後への架橋』という文章を書いたとき、私は、戦後という“穴ぐら”から脱出した地点に、「もう一つの良心の根拠を求めるべき」だと述べた。小田実氏の“反戦”思想に共感していると思われる中野孝次氏の立場を、私が“穴ぐらの良心”と呼んだかぎりは、小田氏や中野氏に対置しうる内容をもった論理を、私の方でも提出しなければ不公正になるであろう。そこで八・一五にちなんで、そのことについて書こうと思う。
ところで、現在における“戦争責任論”や“反戦思想”の内包している最大の盲点は、第一に、戦前天皇制を敵対の対象として選んでいるために、結果として戦前天皇制のカサの下から出られないということ、第二に、戦後三十年にわたって微妙に変容してきた“戦争”の概念にたいして、正当な認識を欠いている点にあると思われる。こうした領域の急所を押えておかないかぎり、自衛隊に賛成しようと反対しようと、何の意味もないといわざるをえない。
吉本隆明氏が、『戦後思想の荒廃』という論文で、現代世界の本質が「戦争の不可能性」と「平和の不可能性」との同在性にあると述べたのは、一九六五年のことであった。もちろんこういう認識の前提には、米ソという核保有超大国の存在であった。そしてこの吉本氏の認識は、核兵器は使用できないがゆえに戦争の防止に役立つという、保守派の「核抑止理論」とどれほど共通項をもっていようと、認識そのものとしてはきわめて正確なものであったと思われる。「戦争の不可能性」は事実大国間に戦争の起りえなかったことによって証明され、「平和の不可能性」はベトナム戦争という形で、局地戦争・代理戦争として展開した。こうして吉本論文以後九年が経過し、昭和四〇年代が終ろうとしているとき、いったい人々は過去十年の歴史から何を学んだのであろうか?
ベトナム戦争の最中に、私は、「北」や「ベトコン」が無条件降伏してもベトナムには”戦後”と”平和”が来る、そういう道を選んで悪い理由が本当にあるのか、という意味のアイロニカルな発言をしたことがある。そして現在の私も、その意見をまったく変える必要を感じていない。それは私なりの”戦争”観の、必然の帰結でもあるからである。
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