オーガ(ニ)ズム 書評|阿部 和重(文藝春秋 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月9日 / 新聞掲載日:2019年11月8日(第3314号)

オーガ(ニ)ズム 書評
「神町トリロジー」完結編
極めてリーダブル、爆笑必至のアクションノベル

オーガ(ニ)ズム
著 者:阿部 和重
出版社:文藝春秋
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 正直に言えば自宅に本が届いたとき宅急便の封を開けて、気軽に書評を引き受けたことを後悔した。厚さ402ミリ、本文861ページ。原稿用紙換算で400枚くらいが平均的な単行本の枚数とするなら、どう見てもその4、5倍。赤字に白抜きで「Orga(ni)sm」と簡素に記されたその物体としての迫力に圧倒されたのである。

これは読むだけで10日は見なければと覚悟してページを開いたのだが、最初の「主な人物紹介」で吹き出してしまった。右上に「阿部和重」という人物がおり、パートナーはご丁寧に(?)「川上」となっている。さらに左下には「バラク・オバマ」と「キャロライン・ケネディ」。かなり人を食った話だぞとページを繰る手が止まらなくなった。

『シンセミア』(2003年)、『ピストルズ』(2010年)に続く作家の実在の故郷を舞台にした「神町トリロジー(三部作)」完結編。ちなみに私の世代にとって『シンセミア』は文学的事件だった。フォークナー=中上健次的な土地にまつわる記憶と暴力の物語を、声望高き若手作家が見事に継承し、脱構築した。これに興奮したり嫉妬しないでいる方が難しい。当時阿部は日本近代文学の問題系を自覚的に引き受け、介入する作家として知られていたのだが、『シンセミア』はその実力を江湖に知らしめる傑作だった。

ところが『オーガ(ニ)ズム』はそうした20年前の作家像を軽やかに裏切るハリウッド風エンターテイメントである。もちろん全編にわたって批評的アイロニーが効いていないわけではない。主人公のマンションに瀕死の重傷を負ったCIAエージェントが訪れる冒頭部分にしろ、アメリカ大統領が標的かもしれないスーツケース型のミニ核爆弾にしろ、あるいはマジカルな人心操作術をマスターした謎の美女にしろ、いかにもアメリカ映画風のクリシェである。けれども私たちがクリシェをクリシェと知りながら没入できる程度にはハリウッドのドラマツゥルギーに侵されている以上、本作はまず極めてリーダブルで、爆笑・失笑・くすくす笑い必至のアクションノベルなのだ。無数の批評的巧緻が細かに張り巡らされていることは明らかにもかかわらず、それらをいちいち言挙げすることが野暮であるように感じられるほど。

基本的枠組みはスパイ小説にして阿部和重と髭面アメリカ人エージェントの国籍を越えたブロマンスである。主人公はエージェントのラリーに乞われるままに、日本の新首都として活況を呈している神町を裏から支配する菖蒲姉妹の動向を探るべく、CIAの特命チームに協力してさまざまなミッションにチャレンジすることになる。次から次へと新たな謎や怪しい人物が現れ、阿部とラリーのコンビはコミカルな失敗を繰り返しながらそれらに対処しようと苦心惨憺し、アメリカ大統領バラク・オバマの神町訪問に向けてサスペンスはいやがおうにも高まっていく。さらに作中に投入された膨大な映画やポップミュージックがらみの固有名詞もさまざまな深読みを誘うだろう(ただし、90年代のシネフィル的な高踏趣味はほとんど感じさせない)。

それにしても驚くべきは、作家が『シンセミア』執筆時から本作の構想を持っていたと告白していることだ(『文學界』10月号のインタビュー)。そして『シンセミア』とはさまざまなレベルでの鏡像関係が仕組まれているという。まずはエンターテイメント巨編として楽しみ、その上で「神町トリロジー」内の照応関係を確かめてみるのも楽しみ方のひとつかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
オーガ(ニ)ズム/文藝春秋
オーガ(ニ)ズム
著 者:阿部 和重
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
「オーガ(ニ)ズム」出版社のホームページはこちら
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