ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語 書評|サキ(国書刊行会 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 文学
  5. 外国文学
  6. 英文学
  7. ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語 の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月9日 / 新聞掲載日:2019年11月8日(第3314号)

ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語 書評
サキの長編にみるフィクションの力、フィクションの輝き

ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語
著 者:サキ
翻訳者:深町悟
出版社:国書刊行会
このエントリーをはてなブックマークに追加
 人間はフィクションなしには生きられない。朝起きて今日は何をしようか、と考えるのもフィクションだし、明日、来年、五年後の自分を思い描いてみるのもフィクションだ。こんなことになったらどうしよう、とか、そんなことはありえない、とか、そういう思考や想像を働かせるのもまたフィクションの力による。だから人は小説を手放せない。

フィクションを生み出すために人間は言葉を使う。映像の方が迫力はありそうだが、知覚刺激は迫力がありすぎて自由がない。何でもかんでも説明しなければならない、と最近よく言われるけれども、過去も現在も未来もすべて説明できるようでは、人生の輝きは失われてしまうであろうし、そもそも、すべて説明可能と考えるのは人間の過信でしかない。この世の中に想定外のことは実に多いのだ。

そういう、いわば人生の伴侶のような小説だが、小説に何を求めるかは人それぞれだ。自分の人生の伴走者のような主人公を描いた長編をいつも持ち歩いている人もいれば、行き詰った現状打開のために一服の清涼剤のような刺激を求め、人生のある局面を鮮やかに照射した短編を求める人もいる。サキ(本名ヘクター・ヒュー・マンロー)は、祖国イギリスでも、また、多くの翻訳が刊行されている日本でも、緻密な構成とシニカルでさえある鋭利な文体を特徴とする短編の名手として知られている。実際、一八七〇年に当時のイギリス領ビルマで生まれ、第一次世界大戦で戦死するまで、彼は百編をゆうに越える短編を発表した。

そのサキに、実は長編小説がある。今年相次いで邦訳された『鼻持ちならぬバシントン』(花輪 涼子訳)と『ウィリアムが来た時』(深町悟訳)がそれだ。(他に『ウェストミンスターのアリス』を含めることもある。)前者は一七、後者は一九の章から構成され、いかにも短編の名手らしい緊張感が、内容の面でもまた文体の面でも全体にみなぎっているのだが、しかしいずれも確かに長編としての雄大な構想と入念な筆致が際立つ傑作である。内容はまったく対照的で、前者は、その表題の通り、「鼻持ちならぬ」、高慢で手に負えないコーモス・バシントンなる息子と、そういう息子を授かってしまった自らの運命を嘆きつつ、それでも彼を愛せずにはいられない社交界で活躍する母フランチェスカとの愛憎の物語。後者は、イギリスが、巧みな戦略によってドイツ帝国に瞬く間に支配されてしまったという想定の下、人々が示すさまざまな反応を、ヨービル夫妻を軸に描いたディストピア小説。いずれも、登場人物の心の底をえぐるようなサキの秀逸な文体を実感できる見事な翻訳である。

「美しくて、意地っ張りの、よく笑う少年だったし、おちゃめで、腹が立つほどわがままで、救い難いほど愚かでひねくれて」いるのだが、「そんなコーモスのことだけを愛するよう運命付けられていた」母フランチェスカを描くサキの筆致には、もちろん、幼くして母を失ったサキ自身の心情もうかがえるが、それ以上に、容易には説明しえない母子の情愛のこまやかさが深く行き渡っている。他方、『ウィリアムが来た時』は、イギリスの若年層の取り込みを画策するドイツ皇帝が待ち構えるハイドパークでの観閲式に、肝心のボーイスカウトの一団がいつまでも現れないことをもって幕を閉じる。この作品が、「英国中の何千もの家庭には祖国の栄光を忘れず、ドイツに与することなく、また、屈することのない子供たちがいた」ことを重要なメッセージとしていることはもちろんだが、それと同時に、後の、例えば泥沼化した第一次世界大戦の戦場であえぐ兵士と旧来の英国社会の没落を描いたフォード・M・フォードの『パレーズ・エンド』などをはるかに先取りするものでもあったと言えよう。

今般邦訳されたサキの長編二作は、一世紀前の作品でありながら、フィクションの輝きを眩いばかりに放っている。言うまでもなくそれは、人間の輝きにほかならない。
この記事の中でご紹介した本
ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語 /国書刊行会
ウィリアムが来た時 ホーエンツォレルン家に支配されたロンドンの物語
著 者:サキ
翻訳者:深町悟
出版社:国書刊行会
以下のオンライン書店でご購入できます
鼻持ちならぬバシントン/ 彩流社
鼻持ちならぬバシントン
著 者:サキ
翻訳者:花輪 涼子
出版社: 彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
「鼻持ちならぬバシントン」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
原田 範行 氏の関連記事
サキ
サキ()イギリスの作家・ジャーナリスト。
Saki.1870 - 1916. 本名はヘクター・ヒュー・マンロー(Hector Hugh Munro)。 インド帝国警察に勤務したのち、ジャーナリストとして活躍。 そのかたわら数多くの短篇小説を執筆し、短篇の名手と称される。第一次世界大戦時に軍に志願し、 フランスにおいて絶命。 近年の邦訳に『サキの思い出 評伝と短篇』(エセル・M・マンロー、ロセイ・レイノルズ、サキ 著、 花輪涼子 訳、彩流社、2017年)、『四角い卵  白水Uブックス』(和爾桃子訳、白水社、2017年)、『平和の玩具  白水Uブックス』(和爾桃子訳、白水社、2017年)、『けだものと超けだもの 白水Uブックス』(和爾桃子訳、白水社、2016年)、『クローヴィス物語 白水Uブックス』(和爾桃子訳、白水社、2015年)、『ウィリアムが来た時』(深町悟訳、国書刊行会、2019年6月)、『サキ短編 『スキャンダルの行方』 Kindle』(サキ全訳プロジェクト訳、Amazon Services International, Inc.、2019年)、『サキ短編 『ビザンチン風オムレツ』』(サキ全訳プロジェクト訳、Amazon Services International,Inc.、2017年)、『サキ短編 『ラプロシュカの魂』『困った雄牛』』 (サキ全訳プロジェクト訳、Amazon Services International,Inc.、2017年)ほか。
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 外国文学 > 英文学関連記事
英文学の関連記事をもっと見る >