パリ左岸 1940-50年 書評|アニエス・ポワリエ(白水社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月9日 / 新聞掲載日:2019年11月8日(第3314号)

パリ左岸 1940-50年 書評
幾重にも絡み合った人間曼荼羅
時代の慣性と感性をはるかに凌駕する精神の豊かさ

パリ左岸 1940-50年
著 者:アニエス・ポワリエ
翻訳者:木下 哲夫
出版社:白水社
このエントリーをはてなブックマークに追加
 「セーヌ左岸は考え(パンス)、右岸は消費する(デパンス)」。これはパリの特徴を端的に示す地口だが、カルチェラタンに代表される左岸には、ソルボンヌやコレージュ・ド・フランス、フランス学士院といった「考える」施設が数多くみられる。十九世紀末同様、本書が取り上げた一九四〇年から五〇年にかけて、この左岸に引き寄せられた若い詩人や作家、芸術家、ジャーナリスト、俳優・歌手たちは数多い。彼(女)らはいかにして時代に敢然と立ち向かい、人間的な交わりのなかで、政治・創作活動や愛や遊びに自らの日々を捧げたのか……。「新聞雑誌の切り抜き、インタビュー、記録文書、写真」などを照らし合わせて情報の信憑性を確かなものにしたという本書には、これまでほとんど聞くことのなかった彼ら登場人物たちの生の声が奔流となって横溢している。

この「左岸劇場」の主たる登場人物は三十二人。その主役は、いうまでもなく互いに奔放な性の遍歴を重ねたのち、モンパルナス墓地に一緒に眠っているサルトルとボーヴォワール(S/B)、そしてふたりよりは多少とも禁欲的(?)だったカミュである。三人の初対面は、ドイツ占領下の一九四三年。サルトルの戯曲『蠅』の公演初日だったという。サルトルがジャン・ポーランの後押しで上梓した『存在と無』が、その重量ゆえに分銅代わりに重宝されて売れだした頃だった。

一九四三年、カミュはレジスタンス系の《コンバ(闘争)》紙の主幹となり、一九四五年一月にはサルトルを同紙の特派員としてアメリカに送り込む。そしてニューヨークでサルトルはフランス大使館の文化参事官だったレヴィ=ストロースから、のちに「アメリカを授けてくれた」と述懐する美貌のドロレス・ヴァネッティに紹介され、彼女とその夫を介してアンドレ・ブルトンやフェルナン・レジェ、マックス・エルンストなどと知り合う。だが、恩人とでもいうべき三歳年下のこの参事官が、のちに文化人類学の名著『野生の思考』において、自らの思想の原点とする「主体性」を構造理論をもって批判するとは、いかなサルトルでも予想だにできなかったろう。

やがてアメリカから帰国したサルトルは、ボーヴォワールとともに雑誌《レ・タン・モデルヌ》(題名はチャップリンの映画『モダン・タイムズ』の仏訳)を創刊する。アンドレ・マルローとカミュには断られたが、ミシェル・レリスやメルロー=ポンティ、ジャン・ポーランらが編集陣に名を連ねた。以後、互いに共鳴者でありながらライバルでもあったS/Bとカミュによる誌紙が、彼ら自身のみならず、若い知性に活躍の舞台を与えていくことになる。そのなかには、すでに黒人文学で名を馳せていた三〇代のリチャード・ライトもいた。さらに、レジスタンス活動家だったサミュエル・ベケットを匿っていた、ナタリー・サロートを旗手とする「アンチ・ロマン(反小説)」を世に送り出し、S/Bがローマで出会ったカルロ・レーヴィの『キリストはエボリで止まった』を、フランスにはじめて紹介したのも《レ・タン・モデルヌ》だった。

むろん「左岸劇場」の磁場はほかにもあった。そのひとつであるサン=ジェルマン・デ・プレ界隈が、実存主義者たちのたまり場になっていたことはつとに知られているが、そこにはまたボーヴォワールと親しかったボリス・ヴィアンや、ジュリエット・グレコに恋情を抱いていた、ダンス好きのメルロー・ポンティも通っていた。海外初公演でパリを訪れ、グレコを夢中にさせたマイルス・デイヴィスもいた……。たしかにそこには時代の慣性と感性をはるかに凌駕する精神の豊かさがあった。幾重にも絡み合った人間曼荼羅もあった。それを本書は遠近法を駆使して丹念に描きだす。平明な叙述とそこから醸し出される著者の高揚感は、そのまま知的好奇心を刺激してやまない本書の醍醐味といえるだろう。
この記事の中でご紹介した本
パリ左岸 1940-50年/白水社
パリ左岸 1940-50年
著 者:アニエス・ポワリエ
翻訳者:木下 哲夫
出版社:白水社
以下のオンライン書店でご購入できます
「パリ左岸 1940-50年」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
蔵持 不三也 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
歴史・地理 > 西洋史 > ヨーロッパ史関連記事
ヨーロッパ史の関連記事をもっと見る >