歴史家の調弦 書評|上智大学文学部史学科(ぎょうせい )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月9日 / 新聞掲載日:2019年11月8日(第3314号)

歴史家の調弦 書評
史料を「読む」行為を楽しみながら読む本

歴史家の調弦
編集者:上智大学文学部史学科
出版社:ぎょうせい
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 史料(歴史資料)とはなんだろうか。それは、歴史学者が歴史を紡ぐときの最も基本となる「証拠」である。これがなければ、歴史は描けない。証拠がない歴史叙述はただの「妄想」でしかないのだ。しかし、史料に縛られてしまうと、新たな歴史像は描けない。史料を先入観に基づいて一面的に見てしまうことで、固定化された歴史や社会のイメージを作ってしまうことがある。これは、私たちの社会を見る眼をとても貧困にしてしまう原因となる。この「史料に基づきつつ史料に縛られない」というバランスの中で、歴史学者は研究を進めている。

本書にはその歴史学者のバランスの妙味が詰まっている。本書は15名の歴史学者が、縦横に史料を活用しつつ、歴史像の一断面を見せたものである。その言及の地理的範囲は、日本から始まり中国・イスラーム・そしてヨーロッパへと広がっている。

そして何より本書の大きな特徴は、その扱う史料の広さと見方の多様さである。例えば、ある一章に書かれた偶然発見した八尾比丘尼の像と碑文から広がる新たな世界は、史料は特別なものではなく遍在する存在であることを教えてくれる。さらにそこから災害・伝承と「人とほかの生命が生きるその関係」へと展開する叙述は、史料が単に様々な土地にあるというだけではなく、別の土地、異なる時代の史料とつながることを鮮やかに叙述している。史料は人が生み出す。それも、過去と現在の関係の中で、人と人との関係の中で、そして人と自然環境の関係の中で生み出される。歴史を読み解くのは、史料の流れ・関係・環境を縦横にトレースし直す行為なのだ、ということを示してくれている。

他にもいくつか例をあげると中国の「小説」から当時のジェンダー像を見るという試みも、多くが男性―それも特にマジョリティの男性―が主役となる多くの史料を用いた歴史叙述への見事なオルタナティブを示している。また、ドイツの実業家について書かれた一章は、アイデンティティの「ゆらぎ」とも見える史料から新たな観点を記述しており、ともすれば一人に対して一つしかないように勘違いしてしまいがちな「人種」のあり方を再考する材料が、史料の中に豊富にあることを示している。

このような15本の史料をめぐる叙述が重なり合う様を本書では見ることができる。
そして、本書の題名は「調弦」である。まさにこれから素晴らしいハーモニーを奏でるための、「準備運動」のようにも見える。ふとした瞬間から生まれ出てくる史料の可能性、史料から論文への思考方法が多く書かれている。歴史家にとって「本番」となる歴史叙述に至る裏側を見る思いがするのも、本書を読む大きな魅力となっている。

歴史学が描く対象が人と社会であるのと同様に、歴史を描く主体も人なのである。歴史学者が一人の人として、史料から歴史を描き始める瞬間を楽しみながら読んでほしい一書である。
この記事の中でご紹介した本
歴史家の調弦/ぎょうせい
歴史家の調弦
編集者:上智大学文学部史学科
出版社:ぎょうせい
以下のオンライン書店でご購入できます
「歴史家の調弦」出版社のホームページはこちら
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