中平卓馬をめぐる 50年目の日記(31)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年11月11日 / 新聞掲載日:2019年11月8日(第3314号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(31)

このエントリーをはてなブックマークに追加

批評誌「フォトクリティカ」の内容について十分話し合う前に中平、岡田両氏に原稿依頼をしてしまったのは独断専行ではないか、と仲間から反発を受けるのではと危惧したが、報告をすると「少しでも進み始めたんだからいいんじゃないの」と、私のわがままはスルーされた。そしてその二つを既定として特集をどうつくって行くかの相談になった。

夏の盛りの暑いプレハブ小屋の中、テーブルを囲んで時間も気にせずめいめいに勝手を言い合う編集会議はまさに部活のような雰囲気でそれ自体が楽しかった。部屋に冷房もないし、ゴロンと音を立てて落ちてくるガラス製ボトルのコカ・コーラの自販機が構内の隅に一、二台並んでいただけの時期である。編集局の小屋もタバコの煙しか他になかった。コピー機も身近ではなく、「ゼロックス」がコピー機の代名詞になり始めてはいたが料金が高くてそんなには使えなかった。だからカーボン紙が大事だった。「編集会議」も、記録当番は指に精一杯の力を込めて筆記した。7人分の記録紙をつくるのだからノートに6枚のカーボン紙を挟んで書く。強い筆圧をかけて書いても、最後の7枚目の文字はかろうじて読める程度のうすい筆跡にしかならなかった。「編集部は7人が限界だね」と誰かが言って笑ったものだ。

私たちは、「写真は何であったか」という命題に対して、象徴的に語られてきた「写真家」を再検証する方法がその答えを導けるのではないかと考えた。

知ってはいるけれど塗り固められたように硬直した印象として封じ込まれているものをもう一度息吹溢れる存在に生き返らせること。それが「評論家」たちの魅力のない知識に対する抵抗になると考えた。

ではどんな写真家を例証として選んだらいいのか。

それには、いつも比喩的に登場させられている写真家がいいのではないか。つまり写真そのものを語るのではなく、「平和」とか「戦争」の代名詞のように引例される写真家がいいのではないか。中平さんがいみじくも「不動の視点の崩壊」というタイトルを思いついたから書くと言ったように、「不動的見られ方」に定着されている写真家を選んでみようということで皆の意見はまとまった。さらに海外編と日本編に分けようと。

海外編で挙がったのがウジェーヌ・アジェ、モホリ・ナギ、ロバート・キャパ、リチャード・アベドン、ウィリアム・クラインの五人である。ブレッソンやフランク、マン・レイやアーヴィング・ペンも挙がったが採用されなかった。

次はそれぞれについて誰に書いてほしいか、の話になった。アジェは岡田、クラインは中平、と既に決まっている。ナギについては、当時「カメラ毎日」誌で「一枚の写真」という連載を続けていた大辻清司さんに決まった。理論家としての面が強調されるのが常だったナギだが、その美しい映像について触れてもらうには大辻さんをおいて他に思いつかなかった。だが他が決まらない。私は中平さんにもう一度相談したいと皆に告げた。

翌日会って話をすると、寺山修司に何か書いてもらったらいいと思うと中平さんが言う。
「ただし、誰かについてとは言わず書きたい写真家を選んでどうぞご自由に、とね。自由にと言うのがちょっと意地悪になるけどね。それと、キャパは小林祥一郎という人にあたってごらん」と、いたずらっぽく笑って言った。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)        (次号へつづく)
このエントリーをはてなブックマークに追加
柳本 尚規 氏の関連記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記のその他の記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記をもっと見る >
人生・生活 > エッセイ関連記事
エッセイの関連記事をもっと見る >