トランペット 書評|ジャッキー・ケイ(岩波書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年12月16日 / 新聞掲載日:2016年12月16日(第3169号)

トランペット 書評
他者のアイデンティティをどうやって受け入れるかを問う 

トランペット
出版社:岩波書店
このエントリーをはてなブックマークに追加
スコットランド作家ジャッキー・ケイの、小説として最初の作品『トランペット』はアイデンティティを問いかける作品だ。通常アイデンティティものというと、主要登場人物のアイデンティティが問題となるのだが、この作品はちょっと趣向が異なる。「おれのお父さんはあなたの娘だったんです」と帯に引用されているが、主要登場人物のひとり、トランペット奏者の息子が向き合うことになるのは亡くなった父のジェンダーやセクシュアリティなのだ。だからこれは世間に対抗して自分のアイデンティティを築く人物を描く作品ではない。訳者もあとがきで書いているが、その人物のアイデンティティを読み解く側がどうやって受け入れるかという物語である。読者も登場人物と共に「あなたの娘だった」父を受け入れる側に立ち、あなたは受け入れることができるかと迫られる。色々な人物が登場する構造もそれを支えている。ジェンダーやセクシュアリティの問題だけでなく人種の問題も大きな要素として提示される。ただ、よく考えると、主要登場人物は二人とも「ヘテロセクシュアル」なのである。その設定こそがこの作品の要かもしれない。読み終わってみると、LGBTの問題をこういった角度から考えてみる手があったのかと読者は気づくだろう。

トランペット奏者の暴露本を書こうとする若い白人女性ライターのみ茶化される対象となっているが、基本的にこの作品に登場する人物への作者の眼差しはやさしい。暴露本執筆に協力しようとするバカ息子に対しても。

訳者、中村和恵はこの作品を訳すにあたり、ある大学の授業で使ったらしい。学生の中に息子の成長を指摘した者がいたとブログで紹介しているが、まさしくそういう優しさがこの作品には満ちている。結末が向かう方向は早い時点で予測がつくものの、読後感は心地よい。予定調和だからという理由ではない。読者にもそういった成長を考えさせてくれるからである。作者の使う言葉づかいも素敵だ。訳文も良い。一例を挙げてみよう。トランペット奏者の妻の言葉だ。「彼の怒りが私には見える、涙の中から急に怒りが燃え上がってくる。わたしへの愛は削られてちいさく丸まり木くずになって床の上に落ちる。おがくずだ。木でできた彼の心の削りくず。」

人種の問題も重要な要素として描かれているが、ジェンダーの問題は恐らくこの作品で一番大きい。亡くなったトランペット奏者の秘密を回想する妻の言葉に「彼はいつも彼女のことを三人称で語った」とある。必要以上にネタばれになるのを避けるため、この一文の意味を解説するのは避けるが、原文の表現はもっとストレートだ。“She was his third person.”だからなのか、この作品を読んでいると人称代名詞が気になる。一人称語りと三人称語りをなぜ併用しているのか。三人称語りで見られる描出話法はどのように訳されるか。英語は三人称単数の代名詞を中性的にする方法はない。一方日本語は一人称がジェンダーに縛られる。描出話法は通例、“he”とある場合も一人称で訳したくなるが、それでは原文のニュアンスを壊してしまうのではないかなどと、ついつい考えてしまう。そのあたりにも訳者の苦労の跡が見られるが、惜しむらくはこの点に関し、多少不徹底か。ただこなれた訳文で、引っかけ言葉などもリズム良く訳してあり、訳者の工夫に満ちている。

LGBT当事者にというより、その家族に読んで欲しい一冊と言っても良いだろう。(中村和恵訳)
この記事の中でご紹介した本
トランペット/岩波書店
トランペット
著 者:ジャッキー・ケイ
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >