宮内豊 寄稿 〈腐敗的状況〉を撃つ――吉本隆明・江藤淳の相違をめぐって 『週刊読書人』1974(昭和49)年9月23日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年11月17日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1047号)

宮内豊 寄稿
〈腐敗的状況〉を撃つ――吉本隆明・江藤淳の相違をめぐって
『週刊読書人』1974(昭和49)年9月23日号 1面掲載

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1974(昭和49)年
9月23日号1面より
吉本隆明氏と江藤淳氏は、共にその問題意識の根源性によって多くの読者を獲得し、絶大な影響力をもっている。それだけに両者が同次元で論じられることも多いのだが、文芸評論家の宮内豊氏は、『戦後文学の理念』(群像9月号)の中で、そういう状況に異議を唱え、両者の異質性にこそ着目する必要があると説いた。そこで氏に、その部分に的を絞っって再論してもらった。(編集部)
第1回
〈一まわりばかり〉の相違

吉本 隆明
「群像」九月号に書いた『戦後文学の理念』という評論は、私の書いたものにしては珍しく、すぐさまいくつかの反応があった。私はそのひとつひとつに丹念に目を通したわけではないが、親切な友人や編集者の知らせでそのことを知った。それとは別に電話や葉書などで感想や批判を述べてくれた友人もいた。おそらく、本紙前々号で中野孝次が指摘している、戦後文学そのものが現代社会に対して持っている意味の重さのしからしむるところであろう。それとやはり、私が現在の文学的、思想的状況に積極的にかかわろうとしたためであろう。発表して時間が浅いので、本格的な反論なり批判なりは、当然、まだあらわれないが、いずれはそういうものも出て来るであろう。それを思うと、多少不安を感じないことはない。退嬰的な心理だが、気分的には黙殺されている方が楽である。
私にあの評論を書かせたひとつの動機は、吉本隆明の思想と江藤淳の思想とをはっきり区別し、分断しなければ、状況は腐る一方だという前々から抱いていた感情だった。たとえば小林一喜のように「後期近代主義」というがごとき恣意的なカテゴリーで両者を否定的に同一視するにしろ、あるいはまた、「日本読書新聞」の匿名記事『ワースト3』が私を揶揄しながら指摘する《吉本ファンと江藤ファンの惰性的円環》という現象(そういうものはたしかに存在する)の側に立つにしろ、いずれも吉本隆明と江藤淳との文壇的、現象的親近性に目を奪われて、両者の思想のベクトルがまったく別の方向を向いている事実を見ていない。もっと平たく説明すれば、かつて吉本隆明が江藤淳との対談で洩らした感想、《江藤さんと僕とは、なにかしらないが、グルリと一まわりばかり違って一致しているような感じがする》というこの《一まわりばかり》の違いを、まるで無視しているのである。
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