読書人紙面掲載 特集

歴史を現状肯定のために、都合よく物語化する現象は昔からありました。戦前の皇国史観や、近くは平成の「新しい歴史教科書をつくる会」。ただそこまでは、歴史を政治の道具として物語化する側と、それへの対抗を唱える側(も実は、なんらかの物語化はしているのですが)の争いでした。
しかし百田尚樹『日本国紀』では都合のよさだけが残って、物語の構築を放棄している。「日本っていいよねエピソード集」と化した書籍は、もはや日めくりの雑学カレンダーと同じです。
百田さんはだいぶ違いますよね。石戸さんが『ニューズウィーク』誌でルポされましたが、百田さんはもともと大阪の朝日放送テレビで、構成作家として人気を得た人。大阪のテレビ界では、厳然とした東京のメインストリームに対する「アンチ」の立ち位置をとるのが成功の秘訣です。
歴史、つまり自分より前に思考した人々の軌跡を知れば、少なからず揺れたり、自分の言説を省みることになります。当時あの人がこういう発言をして、こんな批判が起きたなとか。歴史に照らすと、自分の考えは新しくないのではないかとか。系譜を省みないからこそ、素朴に自分は正しいと思えるし、迷いのない言葉の方が力強く響く。
本書の斎藤環さんとの対談では、「ヤンキー的」な行動様式と呼びました。直感で正しいと信じたら突っ走り、当たればすごいエネルギーを生じる。でも全体の中でいまどこに立っているかという風に、自分を突き放して内省することがない。
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更新日:2019年11月15日
/ 新聞掲載日:2019年11月15日(第3315号)
対談=與那覇潤×石戸諭/與那覇潤×安田峰俊
歴史がおわる世界から、もう一度
『歴史がおわるまえに』(亜紀書房)刊行記念対談 載録
『歴史がおわるまえに』(亜紀書房)を刊行した與那覇潤氏が、十月十一日に八重洲ブックセンター本店でノンフィクションライターの石戸諭氏と「もう歴史学者なんていらない(か)? 左右のポピュリズムから見えてくるもの」、十月二十五日には三省堂書店池袋本店で中国ルポライターの安田峰俊氏と「歴史がおわった世界で 中国と日本」と題し、それぞれトークイベントを行った。その一部を載録し、3面に併せて書評を掲載する。(編集部)
目 次
第1回
【対談Ⅰ】もう歴史学者なんていらない(か)? 左右のポピュリズムから見えてくるもの ―――與那覇潤×石戸諭
2019年11月15日
第2回
ポピュリズムと時間感覚
2019年11月16日
第3回
疑いなおす契機の重要性
2019年11月17日
第4回
【対談Ⅱ】歴史がおわった世界で 中国と日本 ―――與那覇潤×安田峰俊
2019年11月18日
第5回
歴史学は役に立つのか?
2019年11月19日
第6回
分極化を克服する思考の参照軸
2019年11月20日
第1回
【対談Ⅰ】もう歴史学者なんていらない(か)? 左右のポピュリズムから見えてくるもの―――與那覇潤×石戸諭

與那覇 潤氏
與那覇
昔、歴史学者をしていた與那覇です(笑)。今回の本は学者時代に、いま起きている出来事を歴史に照らすとこう映る、という形で七人の方と議論した対談が半分。その後病気をして学者をやめるのですが、「歴史に照らして現在を見る」行為自体に意味があったのか。もはや意味を失ったとしたら、それはなぜなのか。そうした問いを考えた論考が残り半分という構成です。歴史を現状肯定のために、都合よく物語化する現象は昔からありました。戦前の皇国史観や、近くは平成の「新しい歴史教科書をつくる会」。ただそこまでは、歴史を政治の道具として物語化する側と、それへの対抗を唱える側(も実は、なんらかの物語化はしているのですが)の争いでした。
しかし百田尚樹『日本国紀』では都合のよさだけが残って、物語の構築を放棄している。「日本っていいよねエピソード集」と化した書籍は、もはや日めくりの雑学カレンダーと同じです。
石戸
僕はこの夏、百田さん、それから元「歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝さん、西尾幹二さん、小林よしのりさんに話を聞きました。與那覇さんも小林さんと話していましたよね。與那覇
病気の前に、シンポジウムでご一緒しました(宇野常寛ほか『ナショナリズムの現在』)。石戸
最近の小林さんの言説は、丸山眞男みたいじゃないですか。ナショナリズムを肯定した上で、よき国民として政府をコントロールせよという話でしょう。でも、小林さんは丸山眞男なんて読んでないと。自分で考えてここに至った。自分で考えることこそ大事だと。この主張は一見正しそうに見えるけれど、丸山眞男の言説は一応、戦後史の原点とされていますよね。小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』しかり、いろいろなところで、丸山さんの言説が参照され、その上で積み上げられてきたものがあります。日本思想史や戦後史の系譜を辿るのは、重要な作業だと僕は思っているのですが、九〇年代の一つのムーブメントを作った小林さんは、そんなものは必要ないという認識だった。與那覇
小林さんは「真の保守」を掲げていますが、自分の思考は純粋に内発的なものだから、先人の系譜につなげて考える必要はないということですか。しかし、それは昔のラディカル左翼の態度のような……。石戸
「戦後民主主義」の代表格と同じことをいうんです。本人にその自覚はないという点が面白い。しかし、あれだけ「歴史」を持ち出しておいて、小林さんにとって歴史って何かというのは、考えさせられました。『戦争論』の後の歴史、特に「戦後」の思想の歴史にはあまり関心がない。與那覇
ループもののアニメみたいですよね。当事者は新しいステージに立ったと思っているけれど、外から見ればループしている。石戸
ループして丸山に戻っている。小林さんは、伊藤詩織さんの事件を隠ぺいする安倍政権は許せない、というんです。ではかつての従軍慰安婦論争はなんだったんですか、と訊くと、それとこれとは話が別だと。よく解釈すれば、取捨選択された、小林さんなりの歴史観、保守主義観がある。與那覇
思考をスタートさせた時の環境もあると思います。小林さんが『ゴーマニズム宣言』を描き始めたのは冷戦終焉の直後で、それまでの座標軸がぽっかり消えた時期。アメリカ対ソ連、資本主義対社会主義で対峙していたのに、ソ連は崩壊して、かといってアメリカにベッタリついて行っていいものかと。既成のモデルが消え、みんなが一から考える分、論壇誌が熱かった時代という点では、敗戦直後に近かったかもしれない。百田さんはだいぶ違いますよね。石戸さんが『ニューズウィーク』誌でルポされましたが、百田さんはもともと大阪の朝日放送テレビで、構成作家として人気を得た人。大阪のテレビ界では、厳然とした東京のメインストリームに対する「アンチ」の立ち位置をとるのが成功の秘訣です。
石戸
これは小林さんにも共通しているけれど、基本的に反権威主義ですよね。自意識の上での反権威主義、というところがポイントですが。與那覇
百田先生は、総理とご飯食べてる権威者ですからね(笑)。石戸
でも本人からいわせれば、距離をおいていると。自己認識と現実の間を埋めようという思考も必要性も感じてはいない。自分が信じていることを声高にいうのが、彼らの強さです。與那覇
「ゼロから思考」の小林さんも「敵を決めて逆張り」の百田さんも、いったん全体像を見渡して自分を相対化する感覚が希薄だと。それは、私の考える歴史の喪失とも関連します。歴史、つまり自分より前に思考した人々の軌跡を知れば、少なからず揺れたり、自分の言説を省みることになります。当時あの人がこういう発言をして、こんな批判が起きたなとか。歴史に照らすと、自分の考えは新しくないのではないかとか。系譜を省みないからこそ、素朴に自分は正しいと思えるし、迷いのない言葉の方が力強く響く。
本書の斎藤環さんとの対談では、「ヤンキー的」な行動様式と呼びました。直感で正しいと信じたら突っ走り、当たればすごいエネルギーを生じる。でも全体の中でいまどこに立っているかという風に、自分を突き放して内省することがない。
石戸
その「ヤンキー分析」で、山本太郎さんについても語っていましたね。この対談はいつでしたか。與那覇
二〇一四年の初春です。石戸
ヤンキー論の文脈で山本太郎が出てきている、この先駆性には驚きました。與那覇
先駆的過ぎていま彼が売り込む自画像とはズレてますが(笑)。当時の文脈を保存しないと系譜が消えてしまうので、今回本にまとめる際もなるべく原文をいじらず、補足説明を註で加えるよう工夫しています。この記事の中でご紹介した本
「歴史がおわるまえに」出版社のホームページはこちら

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石戸 諭(いしどさとる)作家
ジャーナリスト、ノンフィクションライター。二〇一六年BuzzFeed Japanの立ち上げに関わる。二〇一八年独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』。一九八四年生。
ジャーナリスト、ノンフィクションライター。二〇一六年BuzzFeed Japanの立ち上げに関わる。二〇一八年独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』。一九八四年生。
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