連載 マックス・オフュルスとシニシズム    ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 131|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
更新日:2019年11月18日 / 新聞掲載日:2019年11月15日(第3315号)

連載 マックス・オフュルスとシニシズム    ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 131

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演出中のドゥーシェ(1970年代)

HK 
 ヴィスコンティの『山猫』を初めて観たであろう若い観客たちのあいだから、映画がはじまって一時間ぐらいは、ところどころで笑いがおこっていました。しかし終わりが近づくにつれ、静かになっていった。さすがヴィスコンティだと感心させられました。
JD 
 結局のところ、芸術とは知覚に訴えかけるものなのです。もし正真正銘の芸術作品に向き合うことがあるのならば、シニカルな態度をとることはできないはずです。なぜならば、見る側の内側から湧き上がる感情が、距離を取ることを許さないからです。私たちは、芸術の中にいることになるのです。一方で、距離を取ることでしか見えないことがあるのも事実です。しかしながら、そのような観察のための態度は、決して何かを茶化すためのものではありません。皮肉めいた態度を持った人々の根本にあるのは、何よりも自分の存在であり、自分の考えにそぐわないものを拒否することなのです。芸術の生み出す感情とは、観客がたった一人で、頭の中で生み出すものではありません。作品と向き合うこと、作品を感じることによってこそ、初めて芸術の持つ生に触れ合うことになるのです。
HK 
 シニカルな態度といえば、マックス・オフュルスを思い出します。彼から感じるのは、一九世期ウィーンの持つシニカルな雰囲気ですが。
JD 
 オフュルスの持つシニカルな態度は、生そのものに対するものです。彼にとって世界とは、決して幸せなことばかりではなかった。ドイツとフランスの国境近くの街に生まれ、俳優として演劇の世界に入ります。彼の家は、ブルジョワでしたが、生まれ育った時代に、演劇の世界に入るということは、決して名誉なことではありませんでした。父親からはいい顔をされず、一族の名前を思い起こさせることになる本名で活動することは許されませんでした。そして、オフュルスという芸名を使わざるを得なかった。俳優としてのオフュルスは、優れた人ではありませんでした。そのために、舞台演出家の道を選ばざるを得なかったのです。その後も、様々な問題が生じ、ドイツやオーストリアの劇場を転々とすることになります。最終的には映画制作を志し、ベルリンへ居を移しますが、機会に恵まれず生活のために劇場演出を続けなければいけない時期もありました。そのような背景があり、アナトール・リトヴァクの映画のドイツ語版のセリフ演出のために、やっとベルリンのスタジオで映画を制作することが可能になったのです。

しかしながら、映画を制作する状況においては、恵まれていたとはいえません。数本の映画を撮った後、映画や演劇の世界にナチスの関係者が入り込んできます。彼はカバン一つ持ち、すぐさまフランスへと移らなければならなかった。そしてフランスにおけるオフュルスも、決して容易な状況にあったわけではありません。常にナチスを意識しながら映画を撮らざるを得ませんでした。
HK 
 ラジオ放送で、「オッペンハイマー、お前を絶対見つけ出して、キャンプに送ってやる」とナチスに名指しで追われたこともあったようですね。
JD 
 そうです。フランスのプロデューサーからは良い扱いをされず、ドイツからも追われていました。そして、アメリカへ行かざるを得なくなった。しかし、そこでも映画を撮ることはできませんでした。
HK 
 プレストン・スタージェスとハワード・ヒュースのおかげで数本は撮っていますね。
JD 
 はい。しかし、それは戦後のことです。彼は、アメリカにおいて映画を撮れない期間の方が長かった。そして、フランスに戻らざるを得なかった。私たち(『カイエ』)が、オフュルスの映画を見ることになったのは、そのような時代であり、彼の映画を本当に好んでいました。しかし、世間からの評判は違っていました。
HK 
 『歴史は女で作られる』は、公開当時、観客にもメディアにも受けが悪く、映画史にも語り継がれた損失を制作会社に与えていますね。
JD 
 映画が公開された時、オフュルスは既にドイツに移り、劇場演出の仕事を再開しなければいけない時期にありました。彼の映画をよく理解しないプロデューサーによって、オフュルスの知らないところで、フィルムが勝手にモンタージュされていたのです。私たちは、それでも彼の映画を評価し擁護しました。
HK 
 ドゥーシェさんのよくいう、「生とは動きである」という言葉は、オフュルスも同じことを言っていますね。
JD 
 そうかもしれません。オフュルスの映画を好きでいるためには、生を好きでいなければならない。〈次号につづく〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
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