石川九楊ロングインタビュー  ひとり、俳句の臨界を押し広げた男  『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年11月22日 / 新聞掲載日:2019年11月22日(第3316号)

石川九楊ロングインタビュー
ひとり、俳句の臨界を押し広げた男
『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)刊行を機に

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書家の石川九楊氏が『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)を上梓した。
本書は十三章からなるが、どの章でも、碧梧桐は一度たりとも歩みを止めず、表現に慢心せず、俳句に生き切った(碧梧桐と共に俳句が生き切ったのかもしれない)。
その死闘を、石川氏は碧梧桐の残した書と句と文章から読み解かれた。
それは碧梧桐の挑戦であり、石川氏の挑戦であり、現代の我々の劣化した日本語表現に対する警鐘でもある。本書についてお話を伺った。  (編集部)
第1回
消しゴムで消された俳人

石川 九楊氏
――先入観がこれでもかというぐらいに壊されていくので、常に衝撃を受けながら読みました。河東碧梧桐という人のことを、これまでほとんど考えたことがなかったのですが、この本を読んだ限りは、日本の文学を築いた一人として、忘れないと思います。
石川 
 僕からすると、知られていないことの方が不思議なんです(笑)。

――そうですよね、なぜなのでしょう。
石川 
 それは、俳壇のスターリンが粛清したんです。

――高浜虚子ですか。
石川 
 当時の俳壇を見ていると、そうとしか思えません。「あれ(碧梧桐)だけはダメだよ」というようなかたちで、周囲の俳人が碧梧桐の系統をなぞることがないよう念を押している。そうして、碧梧桐の行った俳句革新は俳壇でも忘れられて、いまに至るわけです。

文学史的に語られるとしても、子規なき俳壇を引き継ぎ、一時はその「新傾向俳句」が俳句界を席巻したけれど、改革が先鋭的に過ぎて自己解体したと。そして「赤い椿白い椿と落ちにけり」の句のみ残り、後の世代は俳句史の中で、碧梧桐など取り上げるに足らないと考えるようになった。

昨年末、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』が、現代俳句協会青年部によって刊行されましたが、ここでも碧梧桐との関連は掘り起こされませんでした。碧梧桐は『新興俳句への道』という本を出しているのに、不思議でね。確かに僕も、いまいわれている「新興俳句」は水原秋桜子から始まったもので、それが碧梧桐と関係があるとは長らく考えていませんでした。たまたま「新興俳句」という同じ名称が、無関係に使われたのだろうと。頽廃した虚子=ホトトギス派に反撥し、その内部から水原秋桜子、日野草城、山口誓子、西東三鬼らが出てくる。碧梧桐派と虚子派が没交渉であったとしても、碧梧桐の「新傾向」と名のつく本の存在を知らないはずはない。ところが、碧梧桐との繋がりを自覚することができず、やがてその隠れた関連を誰も知らなくなっていった。

いまの若い俳人たちが、碧梧桐とは関係なかったということでもいいから、少なくとも碧梧桐の本が「新興俳句」という名称を使っていたことに、なぜ触れなかったのか不可解です。碧梧桐については、消しゴムでゴシゴシ消され、ホワイトでベタベタと塗り潰された、とさえ感じるんです。

――碧梧桐論について、『文學界』編集部からの最初のお声がけは、二十年近く前のことだったとか。
石川 
 碧梧桐のことは、いつかはまとめなければならないと、課題としてずっと抱えていました。ただ、そう簡単に書き上げられるテーマとは思っていなかった。日常の仕事に追われて、なかなか碧梧桐に照準を合わせられずに、編集の方に「書く、書く」と狼少年みたいなことをいい続けていたんです。

二〇一七年に「書だ!石川九楊展」を終えて、作品の方の一つの区切りがつきました。その頃妻に、そろそろ碧梧桐を書いたらどうか、と促されたんです。「いつまでもこんなことしていては、失礼よ」と。申し訳ないとか、気の毒というのではなく、「礼を失する」といわれて、これは挽回しなければ、この際思い切ってウエイトを碧梧桐においてみよう、と踏ん切りがついたのです。

――サブタイトルは「表現の永続革命」。最初は、一度の革命でも大変なのに、永続革命とは……と思いましたが、碧梧桐の人生を知れば、このタイトルでないととても表せないですね。
石川 
 自分自身の創作について考えても、革命は永続革命しかない。しかしそれは難しいもので、どうしても停滞し、自己模倣に陥りがち。創造と破壊を繰り返して、次の新しい表現へと展開していくのは、活力や精神力、あらゆる力を必要とします。碧梧桐がこうも見事に生涯をかけて、俳句を追究しきっているのは、紛れもなく「表現の永続革命」だと思いますね。

――碧梧桐に興味を持ち始めたのは、本格的に書にとりくみ始めた大学時代のことだったとか。石川さんにとっては、書の魅力が人物の魅力だということですが、碧梧桐は長年、どんな存在としてあったのでしょうか。
石川 
 最初は碧梧桐よりも、洋画家の中村不折に、より興味を持っていました。ただ作品をずっと見ていくと、不折は「龍眠帖」という書の表現――碧梧桐もそれに追随していきましたが――その後に一、二新しい表現が出るものの、そこで終わってしまうんです。

それに比べて碧梧桐には限界がない。僕が最初に躓いたのが、いわゆる「無中心」段階の書です。本書に図版が載っているので、見てもらえれば一目瞭然ですが、これはいったい何なんだというようなでき損ないの文字です。碧梧桐のサインがあるけれど、本物なのかと疑いました。そしてもし本物だということになると、この人の技量はどうなのだろうか、と。ところがたくさんの碧梧桐の作品に触れて、前後の繋がりも見えてくると、これは「龍眠帖」風の鮮やかな書体から、次の新しい段階へ進むためにあえて破壊した姿だと。過渡期の書きぶりだと気づくのです。そうしてみると、一見調和のない初学者のような文字ですが、実は複雑な技法が使われた高度な作品でもあることに気づきました。碧梧桐は、まさしく混沌の中の、普通には書として成り立たないような表現を掴み出し、そこから次には「ミモーザの花」の一連の作品のような、見事に美しく麗しい書へと展開していきます。その流れが見えたときに、不折よりもずっと碧梧桐の方が興味深くなりました。

――第二章では、碧梧桐にとって、正岡子規の存在がいかに大きかったかが描かれています。なかでも子規が絶筆三句を認めた場面を、碧梧桐は刻明に写生しています。この文章から、碧梧桐の描写力、書を重視する姿勢、そして子規への思いが伝わってくるように思いました。
石川 
 子規の一点一画の書きぶりを辿っていくと、碧梧桐の文章が、より真に迫るものとして読めますね。子規の妹・律が唐紙を貼った画板の上を持ち、碧梧桐が墨を含ませた筆を渡す。子規は書き終って、筆を投げるように置く。痰を拭って、また筆を持ち、渾身の力を振り絞って文字を書き、筆を放り投げる。文字はちょっと外れてしまったり、引っ掛かったり、かすれたり、そういう在り様が全て、書から見えてきます。

――碧梧桐は死目にあえず、虚子は死目にあっていますが、子規が絶筆三句を書くとき一緒にいたということは、何より碧梧桐の人生に、大きな出来事だったのではないか。
石川 
 それはあるでしょう。書を書いているところを見ているというのは、つまり同時進行、一緒に書いているのですから。全身で碧梧桐も、子規の書を再現している。そのせいではないでしょうが、比べると虚子の追悼句「子規逝くや十七日の月明に」には、子規の死は情報としてしか、描きだされていませんよね。
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この記事の中でご紹介した本
河東碧梧桐―表現の永続革命/文藝春秋
河東碧梧桐―表現の永続革命
著 者:石川 九楊
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
「河東碧梧桐―表現の永続革命」出版社のホームページはこちら
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