中平卓馬をめぐる 50年目の日記(33)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年11月25日 / 新聞掲載日:2019年11月22日(第3316号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(33)

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依頼交渉の次は寺山修司さんだった。中平さんに教わった番号にダイヤルすると本人が出た。忙しそうな気配で、「用件は会って聞きます。2時15分にどこそこへ来るように。30分間の時間をとっておきます」、と早口で言った。

たしか京浜東北線の大井町駅だった。そこから横浜の方へ向かって歩き、線路際の土手に面した小さなビルの地下室へ行った。ドアが開いていて中の音も聞こえてきたので芝居の稽古を指揮している最中だと分かった。

声を掛けるタイミングを待った。ちょっと間があって、気配で振り向いた寺山さんが「さっきの電話の?」、続けて「どんな用件ですか」、と時間にまったく無駄がない。それに会わせて私もできるだけ簡潔に来意を伝えた。
「それ、中平君が関係してるんだった?」
「はい。……『あゝ荒野』はいつも中平さんの横で聞いていました。面白かったです」と聞かれていないことまで私は答えた。
「そお。耳で読んでくれたなんていいね」と彼は笑顔になって機嫌も良くなり、椅子をすすめられてようやく私の話につきあってくれる感じになった。

だがしばらくは無言で天井を仰いでいる。そして「アベドンでいいかな。いやそれしかいまは興味が湧かないんですよ」

こちらの希望通りだったので私は嬉しかった。中平さんの作戦通りになった。
「ヤナギモトクンだったね、『オブザベーション』ある? 持っていたら貸してくれないか」。私はすぐ用意すると答えた。寺山さんは「ここに届けておいてくれませんか」と紙切れに電話番号を書いた。そして「場所は分かりづらいから電話で訊いてください」と言った。

『オブザベーション』(1959年)はリチャード・アベドンの最初の写真集である。彼を見出し、「ハーパース・バザー」誌の仕事で評価を確立させた伝説のアート・ディレクターと言われたブロドヴィチが監修し、アベドンとハイスクールで同級生だったトルーマン・カポーティがテキストを書いたこの写真集は、写真による「黙示録」とも言える、簡単な解読を許さない強烈なイメージの本だ。
「原稿は二週間後に渡しますから。稽古見てゆきますか? ここは臨時の稽古場なんです」

けれど私は見ないで失礼すると伝えてすぐその場を離れた。寺山さんは階段を駆け上がる私に、「原稿、ぼくは早いから心配しないで」と気遣いの声をかけてくれた。

アベドンとクラインは当時の私たちの羨望の双璧だったが、それでもアベドンはその華やかさはまったく手の届かない別世界にいるような写真家。そのアベドンの何について書いてくれるのか、期待に胸が膨らんだ。私は結果を早く仲間に伝えたくて大学に急いだ。

しかしその原稿は待てど暮らせどもらえなかった。二週間後という約束の日を過ぎてから毎日電話をする羽目になったのは、「明日午前中には必ず」と言うやりとりがずっと続いたからだ。もらえたのは「明日午前中」の約束をさらに二週間ほど繰り返してからだ。

手渡されたときはほんとうに嬉しかった。私は原稿の入った紙袋の中を確かめもせず丁重にお礼を言い、原稿料が入った茶封筒を手渡した。
「原稿料? 難しいことを引き受けてしまったと後悔したんだ、だからこういうもらい方はご褒美みたいで嬉しいなあ。ありがとう。いやあ写真は難しい。でもいいのが書けたから」と肩の荷を下したというような笑顔になった。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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