連載 マックス・オフュルスとシニシズム  ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 132|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く
更新日:2019年11月25日 / 新聞掲載日:2019年11月22日(第3316号)

連載 マックス・オフュルスとシニシズム  ジャン・ドゥーシェ氏に聞く 132

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ドゥーシェ(中央)とグザヴィエ・ボーヴォア(左上)1990年代前半
JD 
 マックス・オフュルスの『快楽』は、最初のエピソードにおいて、蝋人形のような顔をした男がダンスホールを訪れます。カメラはその男の動きに付き従うようにして移動する。その男は若い女性とともに夜の遊びを楽しむも、途中で倒れ込むことになります。周りの人が心配になって駆け寄りますが、次の瞬間には劇場の支配人が、楽団に音楽を続けるように指示をします。例え何か事件が起ころうとも、オフュルスにあっては、動きを止めることがあってはならないのです。彼がダンスホールに入ってきたようにして、その男はカメラの動きによって別室へと運ばれていきます。そのカメラの動きは、途切れることなく、同じショットの中において、ダンスホールに入ってくる別の紳士に付き添い、若い娘たちとのダンスへとつながります。そして、そのショットは、最終的に、様々な男たちと女たちが踊りに明け暮れる姿を、移り変わるようにして映し出すのです。こうしたショットからもわかるように、オフュルスの全ては、動きの中にあるのです。
HK 
 『輪舞』は別の構造において、全てを一つのつながりとしての動きの中で捉えています。
JD 
 『輪舞』も同じです。オフュルスの作品において問題となるのは、一瞬ごとの生です。全てのオフュルスの映画は、生を最大限に享受する、もしくは楽しもうとする態度から生まれています。しかし、その生というものは、必然的に苦悩や幻滅を伴います。『輪舞』においては、娼婦は兵士と関係を持ち、その兵士はメイドの女性とも別に関係を持ち、そのメイドの女性は雇い主の若い男と関係を持ち、その若い男は既婚女性と関係を持つようにして、関係性がつながっていきます。最終的に、男女の関係が最初の娼婦へと戻ることによって、一つの「輪舞」となります。
HK 
 『輪舞』が公開された当時ゴダールが、面白い文章を書いていました。正確には記憶していませんが、次のような言葉だったと思います。「音楽は平凡だし、物語も平凡なものである、しかしそれが最後にはどうでもよくなってくる。なぜならば、一九〇〇年のウィーンがそこにあるからだ」。確かに、オフュルスは歴史上唯一、二〇世紀初頭のウィーンの映画を作ることができた映画作家だと思います。『輪舞』はアルトゥル・シュニッツラーの原作に、オスカー・シュトラウス(フランツ・レハールと肩を並べていたウィーンの作曲家)が作曲で、かつてのウィーンが記録された映画とも言えるのかもしれません。
JD 
 当然のようにオフュルスは、シュニッツラーの世界観に大きな影響を受けています。オフュルスの持っていた態度の基礎にあるのが、ウィーンの芸術です。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてのウィーンは、ヨーロッパの歴史の中でも華やかなものでした。しかしその華やかさは、かりそめのものでしかなかった。長年続いた王家による支配の元、ウィーンという街は芸術を発展させていくことができました。しかし、そのような時代も、第一次世界大戦の始まりと共に失われます。オフュルスはサラエヴォで暗殺された王子についても、自身の映画で取り上げています(『マイエルリンクからサラエヴォへ』)。結局のところ、オフュルスの全ての映画は、生を扱うからゆえに死をも扱っているのです。彼の映画は、死へと向かって行く瞬間の輝きなのです。
HK 
 少しルビッチと似たところがあります。
JD 
 はい。ルビッチにおいても重要なのは、一瞬一瞬の生を謳歌することなのです。
HK 
 ルビッチだけではなく、チャップリンや、もしかしたらデ・シーカあたりもオフュルスに近い映画作家のように感じます。
JD 
 今挙げた映画作家に共通するのは、生の映画作家であるということです。一般的に、チャップリンの映画は喜劇だと言われがちですが、映画作家としてのチャップリンが本当に優れていたのは、スラップスティックの時代ではありません。『巴里の女性』以降のチャップリンは、悲劇をも多く取り上げています。チャップリンの、悲劇と喜劇の間には大きな違いはないのです。生というものは、必然的に歓喜と苦悩を伴います。喜びを理解するためには、悲しみを知らなければならない。チャップリンは、一貫して生に向き合っていたのです。そのため、彼の後期の作品は多くの観客からよく思われず、チャップリンは失望してスイスへと移住することになってしまった。
HK 
 デ・シーカも似たところがありますね。
JD 
 デ・シーカも、生に向き合った映画作家です。チャップリンと異なるのは、彼の方がほんの少し楽観的なところです(笑)。〈次号へ続く〉
(聞き手=久保宏樹/写真提供=シネマテークブルゴーニュ)
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