奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化 書評|蔵持 不三也(言叢社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年11月23日 / 新聞掲載日:2019年11月22日(第3316号)

奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化 書評
パリスの奇蹟を多岐に論じた歴史人類学研究
複雑に絡まった「奇蹟」にまつわる事象を再構築する

奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化
著 者:蔵持 不三也
出版社:言叢社
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1727年5月にフランソワ・ド・パリスという助祭がパリで極貧の内に死んだ。30代後半でまだ若かったが、財産を貧者に施し、自らは粗食に甘んじ、苦行をするなど、その聖人を思わせる生活ぶりで信者の信望を一身に集めていた。その彼の死後、彼の墓所を舞台に、宿病、業病の快癒などの奇蹟が次々に起きた。その奇蹟の評判はパリ中に広まり、奇蹟を求める信者が押し寄せ、墓地は大変な騒ぎになり、1732年に閉鎖されることになった。だがそれでも奇蹟は起こり続け、評判はさらに広まった。

『奇蹟と痙攣』はこのパリスの奇蹟を主題にした歴史人類学的研究であるが、論じている分野は宗教、政治、社会と多岐にわたっている。それはこうした奇蹟の理解には、当時のカトリック信仰のあり方だけではなく、18世紀フランスの宗教、政治、社会の様態と、その相互の結びつきに関する理解が不可欠であるからだ。

パリスの奇蹟が起きた時代、フランスの宗教界ではジャンセニスムが台頭していた。ジャンセニスムは宗教思想運動で、アウグスティヌスの恩寵論を基礎に、救済の予定調和を説き、個人の自由意志を否定した。ジャンセニスムは、ローマ教皇庁に対するフランスの宗教的優位を唱えたガリカニスムを思想的基盤にしており、ローマ教皇庁の意を汲んだ活動をしていたイエズス会と対立していた。教皇庁はジャンセニスムの予定調和説を異端視し、その力を削ごうとしていた。

教皇庁は1713年にジャンセニスムの101の命題を否定する教勅「ユニゲニトゥス」を発布した。この教勅はジャンセニスム支持の教職者の怒りを呼び、国王がこの教勅を受け入れるように出した命令を拒否するものが多出した。また法服貴族の牙城たるパリ高等法院はガリカニスムを守る立場から国王の命令に抵抗した。

フランスの18世紀は絶対王政体制にほころびが出て、様々な矛盾が噴出する不安定な時代で、人々の心理も不安定になっていた。しかし国家が宗教を支配下に置くという世界史の大きな流れがあり、それはフランス革命を経て実現されるのだが、そうした流れの中で、国王、フランスの宗教界、ローマ教皇庁が自らの存亡をかけて争ったのである。

こうした状況下で、パリスの奇蹟はジャンセニスムの自己主張という色彩を帯びてくる。パリス自身がジャンセニスムの支持者であったが、パリスの「取りなし」で奇跡的快癒を得たものたちにもジャンセニストがいた。当時のフランスでは一方に啓蒙主義者がいて、科学的視点から宗教を批判していた。またもう一方には教皇庁の意に沿うイエズス会がいて、保守的な正統的カトリックの教義を主張していた。そうした中で劣勢に立たされたジャンセニスムの支持者たちは奇蹟を媒介に自己主張をしようとした。彼らにとってパリスの奇蹟は神の意思の表れであり、自分たちの正しさを目に見える形で表したものだった。 それではパリスの奇蹟とは具体的にどのようなものだったのだろうか。ルイズ・マドレーヌ・ペニェという女性は左腕が激痛に襲われて麻痺し、日常生活も思いのままにならない状態に陥った。彼女はパリスの他界の報を受け、その取りなしにすがろうと思い、彼の部屋を訪れ、彼の遺骸の足に接吻し、棺に麻痺した腕をこすりつけたところ、しばらくして腕の麻痺が治った。これはパリスの死の直後に、彼の遺骸に触れたものに起きた初めての奇蹟だったが、その後は墓所を訪れ、墓石の上に寝たもの、パリ
スの衣服の断片、寝台の木材の断片を身につけたもの、墓所の土、墓場の井戸の水などを摂取したものに、業病快癒の奇蹟が起こり、さらには9日間祈祷を行うものにも同じような奇蹟が起きたのである。そして墓石の上に寝るものの中で体が痙攣するものが出てきて、それが聖性の印とされ、後に「痙攣派」と呼ばれるグループが形成されるのだ。ただこの痙攣派は身体を痛めつける極端な苦行で騒ぎを巻き起こし、良識あるジャンセニストの離反を招くなどして、後にジャンセニスムを分裂させてしまったのである。

『奇蹟と痙攣』はパリスの死後に起きた奇蹟の事例、104例を記録した報告書『奇蹟集成』(1728)を資料として、その中の37例を翻訳、分析し、論じている。この報告書のほとんどは、快癒者の証言を公証人が書き留めてまとめたもので、その当事者の証言以外に、病状を知っていた医師、快癒を確認した医師らの証言も添えられ、奇蹟がどのように起きたかという証言として重みのあるものになっている。この奇蹟の証言は本全体の約三分の一を占めているが、当時の人々がいかなる病気にかかり、どのような医療行為を行っていたのか(現在の医学知識からは、治療効果があるとは思えないものが多い)、具体的に教えてくれる。さらには奇蹟についてどのような検証がなされたかも詳しく書かれており、奇蹟をいかに評価しようとしたか、うかがわせる資料として大変貴重である。

こうした事例から、当時の民衆の声が直接伝わってくる。「聖職者通信」という、地下出版されていたある種の新聞は、そうした奇蹟を取り上げ、人々はそれを読み、文字を読めない人は識字者に代読を頼んで情報を得た。著者によれば、民衆の声を民衆が聞くという、フランス社会でそれまでになかった出来事が起きたのである。ジャンセニスムは一部聖職者や知識人の宗教思想であったが、奇蹟を媒介に民衆レベルに降りてきて力を持った。それは病気の快癒という、身体にまつわる即物的現象が民衆に理解され、支持されたからだが、その背景には奇蹟を熱望する民衆のイマジネール、集団的想像力があったのだ。著者はこの集団的想像力を、奇蹟の記録化、快癒者、痙攣、聖遺物崇拝など、様々な要素を検証して「有機的な連関性」の中でとらえようとする。それは歴史家マルク・ブロックが『王の奇跡』で、「有機体のあり方を理解することは…有機体の生存を可能にすると同時に変形させる環境の諸条件を見定めることである。それは社会現象についても同様である」と書いた方法を踏まえ、さらに深化させている。

「民衆はまさに一連の奇蹟譚を語ることで、自らの声を獲得していった」のである。だがこうした声を恐れる支配層はそれを抑圧しようとした。そしてなおも奇蹟を求める人たちはパリから地方へ散らばり、「痙攣派」と呼ばれるある種の苦行団体になり、フランス革命を迎えるのである。奇蹟を得た人たちは体を痙攣させたが、著者によれば、彼らが属する社会も変革の期の中で「痙攣」していたのだ。

様々な要素が複雑に絡まる事象を綿密に追って再構成した大著である。力業で大きな壁掛け(タペストリー)を織り上げる、その力量と手法のさえに敬意を表したい。
この記事の中でご紹介した本
奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化/言叢社
奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化
著 者:蔵持 不三也
出版社:言叢社
以下のオンライン書店でご購入できます
「奇蹟と痙攣 近代フランスの宗教対立と民衆文化」出版社のホームページはこちら
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蔵持 不三也
蔵持 不三也(くらもちふみや)早稲田大学名誉教授
1946年栃木県今市市(現日光市)生。早稲田大学第1文学部仏文専攻卒業。パリ第4大学(ソルボンヌ大学)修士課程修了(比較文化専攻)。社会科学高等研究院博士課程修了(民族学専攻)。モンペリエ大学客員教授。早稲田大学人間科学学術院教授を経て現在、早稲田大学名誉教授。 著書:『ワインの民族誌』(筑摩書房)、『シャリヴァリ―民衆文化の修辞学』(同文館)、『ペストの文化誌―ヨーロッパの民衆文化と疫病』(朝日新聞社)、『シャルラタン―歴史と諧謔の仕掛人たち』、『英雄の表徴』(以上、新評論)ほか多数。 共・編著・監修:『ヨーロッパの祝祭』(河出書房新社)、『神話・象徴・イメージ』(原書房)、『エコ・イマジネール―文化の生態系と人類学的眺望』、『医食の文化学』、『ヨーロッパ民衆文化の想像力』、『文化の遠近法』(以上言叢社)ほか多数 翻訳・共訳:エミール・バンヴェニスト『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』(全2巻、言叢社)、A・ルロワーグーラン『世界の根源』(言叢社、文庫版・ちくま学芸文庫)、ベルナール・ステファヌ『図説パリの街路歴史物語』(2巻)、同『パリ地名大事典』、ニコル・ルメートルほか『図説キリスト教文化事典』、アンリ・タンクほか『ラルース版世界宗教大図鑑』、ミシェル・パストゥルー『赤の歴史文化図鑑』(以上、原書房)、マーティン・ライアンズ『本の歴史文化図鑑』、ダイアナ・ニューオールほか『世界の文様歴史文化図鑑』、フィリップ・パーカー『世界の交易ルート大図鑑』(以上柊風舎)ほか多数。
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