中平卓馬をめぐる 50年目の日記(34)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年12月2日 / 新聞掲載日:2019年11月29日(第3317号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(34)

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大辻清司さんには代々木上原の自宅に呼ばれた。

駅を出て坂道を上り、井の頭通りを突っ切って小さな商店街の通りに入れば、ほどなくして大辻さんの住む年代物の家屋があった。ひときわ古びて崩れそうな家だからすぐ分かりますよと言われていたが、ほんとうにすぐに分かった。

建て付けがゆがんでなかなか開かない玄関の引き戸をがたがたやっていると、奥さんが出てきて中からスッと開けてくれた。「コツがあるんですよ」と笑いながら招じ入れて、「二階へどうぞ。汚いところだから驚かないでくださいよ」言う。私は挨拶もそこそこにギシギシと鳴る階段を上った。

二階は大辻さんの仕事場で、町工場にあるような大きな作業テーブルがデンと据えられ、その周りは工場さながらの物品棚に工具やカメラのパーツ、そして重ね置きした書籍に取り囲まれていて、まさにファクトリー、大辻ワンダーランドだった。

分厚い40㎜はあるラワン合板を天板にした作業テーブルには作りかけの何かや調整中の自製カメラが無造作無秩序に転がって(いるように私には見えた)いたが、大辻さんにはそれが秩序だったのだろう。

山盛りになった二、三の大きな灰皿、というか灰缶があって、その一つを引き寄せながら「ご用件を伺いましょう」と大辻さんが話のきっかけを作ってくれた。その日の目的は、「モホリ・ナギ」。しかし依頼の内容をかいつまんで説明すると、「ナギ……。いやあ私には試験問題を与えられたに等しいお話です」と言ってずっと黙り込んでしまった。

そしてポツリポツリと、青年時代の早くから始まった写真への関心がいっそう駆り立てられることになった写真雑誌「フォトタイムス」の記憶を語り、そこで知った海外の新しい展開の内容こそが、ナギやケペッシュなどの新即物主義と言われた海外の思潮、瀧口修造さんがそれらを紹介していたと言う話をしてくれた。それがもとになってのちに大辻さんは領域を超えた前衛的な表現者集団の「実験工房」に参加する。さらに瀧口修造顧問の「グラフィック集団」にも参加する。

それらで試みを共にしたのが北代省三、山口勝弘、武満徹、秋山邦晴といった人々である。大辻さんを通じてのちに私もこの錚々たる人aわせればそういう流れに加わっていた自分の拠り所こそが「ナギ」だったそうだ。だからナギについて考えることは自分について考えることと同じなので簡単ではない、と。

ゆっくり静かに話される大辻さんは逆光のシルエットになっていたからその時の表情は分からない。申し出を受けてくれるのかどうか、目の動きも伺うことが出来なかった。

そこへ突然、「おとうさん、どうぞ。ヤナギモトさんも一緒にどうぞ」と階段下から奥さんの明るい大きな声がかかった。
「下へ行きましょう。一緒に晩ご飯を食べていってください」と大辻さんにも言われ、私は遠慮する余裕もなく居間のちゃぶ台の輪に家族のみんなと一緒に入った。

奥さんが「大丈夫よ。きっと書きますから」と五目寿司ご飯をよそってくれた。大辻さんを見ると、「ま、今日は食べていってください」と。

空腹だった私はしっかりといただいて、「ではまた」という大辻さんの言葉に送られて外へ出た。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

   (次号へつづく)
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