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American Picture Book Review
更新日:2019年12月2日 / 新聞掲載日:2019年11月29日(第3317号)

「私は番号なんかじゃない」

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『I Am Not a Number』
Dr.JennyKayDupuis,KathyKacer著
Muriel Sawyer, Geraldine McLeod翻訳
Gillian Newland画
(Second Story Press)
アメリカでは11月の第4木曜日は感謝祭(サンクスギヴィング)だ。クリスマス、独立記念日と並ぶ重要な祝日であり、今では家族で七面鳥を囲む団欒の日となっている。しかし由来はまったく異なる。その昔、ヨーロッパから北米に移り住んだ清教徒たちは寒い冬を越せずに餓えていた。見かねた先住民(ネイティヴ・アメリカン)が作物の栽培法を教えて救った。翌年、入植者は感謝の念を込めて先住民を招いて食事をふるまった。これが感謝祭の始まりとされている。入植者と先住民の心温まる逸話だが、史実は打って変わって残酷だ。白人は先住民を虐殺し、生き残った者は居留地に押し込められた。

『私は番号なんかじゃない』は、カナダ政府による先住民の文化剥奪策の一つである全寮制の学校を描いている。ちなみに先住民の部族のいくつかは現在のカナダと米国にまたがるエリアに暮らしており、国境はのちに両国によって引かれている。

舞台は1928年のカナダ、オンタリオのニピシング区にある先住民居留区。8歳の少女アイリーンは剥製業を営む父、母、兄弟姉妹と暮らしていた。ある日、家に役人が来て、アイリーンと2人の兄を遠く離れた全寮制の学校へと無理やりに連れて行ってしまう。学校は先住民の文化を奪う目的でカナダ各地に作れられたものだった。子供たちは名前ではなく番号で呼ばれた。アイリーンは「759番」だった。学校に到着するなり、「茶色いものを洗い流せ」と冷たいシャワーを浴びせられた。次いで長い髪を切られた。先住民にとって髪は矜持の証であるにもにもかかわらず。食事はお粗末で、子供たちは常に空腹だった。学校では部族の言葉が禁じられ、うっかり「Miigwetch(ありがとう)」を口にしてしまったアイリーンは厳しい体罰を受けた。何より学校はカトリックの尼僧たちによって運営されており、子供たちは日々の祈りによってキリスト教へと改宗されていったのだった。

1年後の夏休み、アイリーンと兄たちはようやく家に帰ることを許された。子供たちに手紙を出すことさえ禁じられていた父親はアイリーンから学校の様子を聞き、子供たちを学校に戻さない決意をする。それは自身の逮捕をも意味するのだが。

カナダの先住民対象の全寮制の学校は深い遺恨を残している。子供たちは家族と先住民コミュニティから切り離され、長年のうちに言葉や文化を忘れて寄る辺ない人々となり、生涯にわたって苦しんだと言う。

実在の人物だったアイリーンの孫が執筆した本作は2016年に英語版が出され、今年になってアイリーンの母語であるOjibway語との2言語版が新たに発売された。近年、カナダとアメリカの両国でいったんは失われつつあった先住民の言葉を復活させる試みが行われているのである。(どうもと・かおる=NY在住ライター)
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