大徳寺聚光院別院 襖絵大全 書評|千住 博(求龍堂 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2019年11月30日 / 新聞掲載日:2019年11月29日(第3317号)

千住博著『大徳寺聚光院別院 襖絵大全』

大徳寺聚光院別院 襖絵大全
著 者:千住 博
出版社:求龍堂
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 世界遺産、高野山金剛峯寺に新たな障壁画が奉納される。奉納に先駆けて一般公開されると知り美術館に足を運んだ。会場で私が最も目を奪われたのは、水煙を上げながら激しく落ちる瀧を描いた「瀧図」だった。頭上から水が大蛇のようにうねりながら轟々と落ちている。私はその水煙に確かに包まれているのに、瀧の音を捉えることは出来ない。空間を超越した所に存在する瀧は静かで神々しく、気づかぬうちに涙が溢れていた。絵と出会ってそのような反応をしたのは初めてだった。

作者の名は千住博、世界的に活躍する日本画家である。1995年、美術のオリンピックと称される現代美術の国際美術展覧会ベネツィア・ビエンナーレにおいて、東洋人で初めて名誉賞を受賞した。その時の受賞作「The Fall」と同じ手法で描かれた瀧が、本書にも収録されている。千住氏は画面上部から絵の具や墨を大量に流すことで水の流れを表現する。日常では注意を向けられることのない、物質が上から下へ落ちるという物理現象が、瀧の絵を成立させている。その造形の美しさは彼自身が驚愕し天啓と感じたほどだ。だが天啓とまで感じる瞬間へと至る制作過程は、見えない山の頂に向かい一歩一歩祈りながら登っていくように過酷であることが、本書から伝わってくる。二巻から成る本書には、彼がそのような過程を経て完成させた大徳寺聚光院の襖絵と、そこに辿り着くまでの道のりが収められている。作品に対する直接的な解説は一切なく、あるのは実際の作品と辻仁成氏による小説(第1巻)と、千住氏の姿と言葉が収められた写真集(第2巻)のみで、それらを手掛かりに読者は自らの人生と共鳴させながら、千住氏が歩んだ道のりに想いを馳せることになる。

小説「超越者」の舞台は襖絵の題材の一つである砂漠だ。主人公は「死は全ての生き物に与えられた最上級の幸福」だと信じる名もなき男で、理想の死を求めて砂漠にやってくる。暑さに汗が吹き出し、男が生を強く感じたその時、セスナ機の墜落事故によって瀕死状態となった女性パイロットと遭遇する。砂漠という虚無の中、男が女の死に際にしてやったささやかな行為によって、死を目前にした二つの生が輝きを放つ。

この小説の背景には千住氏のサハラ砂漠での実体験がある。訪れる前は荒涼とした死の世界だと思っていた砂漠で、流れる汗に生の喜びを感じ、遊牧民の男がひびだらけの器で差し出した一杯の茶に茶道の一期一会の本当の意味を知った。砂漠という非日常のなかで、作為のないものによって何気なく与えられた感動の中に、日常に潜む美を見たのだ。それはまさに茶道の聖地である大徳寺にふさわしい美だった。

本書を読み終えた後、美術館で瀧の絵の前に立った時に溢れた涙は、圧倒的に美しい絵を通して、千住氏の過酷な道のりと、その先にある日常に潜む美を、無意識のうちに見ていたからだと思った。「白い画面の中に、自分が描かなければならない絵が、埋もれてしまっている。それを、丁寧に灰を落としていくような作業で引っ張り出していく」と千住氏は言う。忙殺された日々のなかで進むべき方向を見失った時、目指す頂は見えないだけで、何気ない日常の中に既にあるのだと、信じさせてくれる一冊である。(小説=辻仁成)
この記事の中でご紹介した本
大徳寺聚光院別院 襖絵大全/求龍堂
大徳寺聚光院別院 襖絵大全
著 者:千住 博
出版社:求龍堂
以下のオンライン書店でご購入できます
「大徳寺聚光院別院 襖絵大全」出版社のホームページはこちら
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