中井英夫 インタビュー 超越する“反世界”の魔――泉鏡花賞受賞の中井英夫氏に聞く 『週刊読書人』1974(昭和49)年11月25日号 1~2面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月1日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1056号)

中井英夫 インタビュー
超越する“反世界”の魔――泉鏡花賞受賞の中井英夫氏に聞く
『週刊読書人』1974(昭和49)年11月25日号 1~2面掲載

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1974(昭和49)年
11月25日号1面より
『虚無への供物』で知られ、また短歌雑誌の編集者時代には寺山修司や塚本邦雄らを見出した作家・中井英夫が1974年に第二回泉鏡花文学賞を受賞した際に行なわれたインタビュー。戦中・戦後の経験、両親の話、自身のモチーフとなった“黒鳥”との出会いなど、中井英夫が歩んできた道、そして三島由紀夫についてを語った内容をお届けする。(2019年編集部)
第1回
反戦・反軍の戦争体験――軍隊という“罠”に捉えられて

――こんど「悪夢の骨牌」で第二回泉鏡花賞を受賞されたわけですが、中井さんには「悪夢の骨牌」のみならず、「虚無への供物」「幻想博物館」等にみられるように、一貫して“半現実”“反世界”への志向性がありますが、そういう発想、姿勢は、戦中手記である「彼方より」にすでに顕著に見受けられますね。そこでまず、戦争体験といったものからお聞きしたいのですが。
中井
 べつに最前線へ行ったわけではありませんから、“戦争体験”というオーバーなものではありませんが……。ただ、学徒出陣に駆り出された旧制の府立高校時代は、朝礼のとき下級生をなぐった配属将校をどなりつけたり、軍国主義教育を謳歌する校長にくってかかったりしていざこざを起こしていました。そんなわけで、教練をはじめとして最低の成績で、市ケ谷の参謀本部(三島由紀夫が割腹死した所)に配属になった時の“考課表”には「学校一番の危険人物なり」などと書かれていました。そんな私に、参謀本部の楽な仕事がどうしてまわって来たのか知りませんが、軍隊というものに全く不向きだと諦められたのかもしれません。いずれにしろ、当時ではこれほど“不名誉”なことはありませんでした。

――その参謀本部の中で、せっせと反軍・反戦的な手記「彼方より」をしたためていたというようなケースは非常に稀有な例ではないかと思いますが。
中井
 「彼方より」は、二十五年以上もの間、何の価値あるものとも思っていなかったんです。自分では、ごく当り前のことしか言っていないように思っていましたから。当時も身の危険を少しも感じないで書いていました。ただ、いまから振り返ってみますと、ずいぶん無茶なことをやったもんだ、とゾッとします。もし見つかっていたら“監獄”どころか、“非国民”ということで殺されていたかもしれません。
戦争中は、軽井沢あたりでゴルフの片手間に、清沢洌さんが「暗黒日記」を書かれていて、憲兵に見つかったら大変だみたいなことでおびえているのは、すごくおかしいような気がします。そして、それが唯一の反戦・反軍日記だということも……。
もっとも私の場合は、反戦・反軍ということばかりじゃなしに、ものすごく哀しい、あわれな一人の気弱な文学青年があの中に居て、そして軍隊という一番苦手な“罠”に捉えられて、あたかも閉じられたその密室からどうにかして抜け出そうともがいている、そういうところが少しはましだと思って発表したのです。
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