無明 内田吐夢 書評|四方田 犬彦(河出書房新社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月7日 / 新聞掲載日:2019年12月6日(第3318号)

無明 内田吐夢 書評
〝無明〟という観念を携えて
日本映画史上もっとも謎に満ちた巨人、内田吐夢

無明 内田吐夢
著 者:四方田 犬彦
出版社:河出書房新社
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 かつて映画史研究家の田中眞澄は内田吐夢の作品世界には安易なアプローチは通じないと断じつつ、次のように書いたことがある。

「多くの初期作品が現存しないという制約の他にも、観念と本能、光と闇、条理と不条理、近代と反近代、リアリズムと反リアリズムの間を最大の振幅で往還しつつ、そこに必ずしも常に円満な完成を成就させなかったことも、彼のわかりにくさではある。だが、矛盾を孕みつつ時に異界の闇への通路を垣間見せる巨大な可能性すら暗示して、その精神と情念の軌跡は、なまなかな〝批評〟など呑み込んでしまう日本映画の謎、暗黒星雲として我々を挑発し続ける。その解明は、幸か不幸か、今これからの課題となる」 本書はあたかもその挑発に応えるかのように、この日本映画史上もっとも謎に満ちた巨人、内田吐夢の〝精神と情念の軌跡〟を〝批評〟の言葉によって能うる限り解明しようとする果敢な試みである。四方田犬彦がその〝異界への通路〟を探る手がかりとして携えるのは〝無明〟という観念であり、このキーワードは手を変え品を変えて、繰り返し登場してくる。

たとえば、本書の中でもっとも大きな比重をかけて論じられている『宮本武蔵』五部作の宮本武蔵、『飢餓海峡』の犬飼多吉、『大菩薩峠』の机龍之助という三人の主人公には共通項がある。三人ともそれぞれが、自らの手によって殺めた死者たちの記憶に苛まれて、無明長夜の中を、未来永劫、彷徨い続ける宿命を背負っているというのだ。この指摘は、『血槍富士』から遺作『真剣勝負』にいたる時代劇において、通奏低音のごとく、親のいない、親に見棄てられた子供、危機に陥った〝孤児〟を繰り返し描いているという卓見と結びつくことで、さらに説得力を帯びてくるように思われる。
著者は内田吐夢の自伝『映画監督五十年』、鈴木尚之の『私説・内田吐夢伝』などを参照しながら、過酷な中国残留体験が戦後の内田作品にいかに反映されているかを分析している。とりわけ毛沢東の『矛盾論』に魅せられ、「小さな矛盾が重なりあって大きな矛盾を形成し、最後にそれが爆発してクライマックスとなる」読書体験が内田の戦後の作劇術に深い影響を及ぼしたという指摘は看過できまい。

「内田吐夢の映画にとって、賤民、被差別民、さらにエスニックな少数派は、劇の根幹を支えている本質的存在である」とは最も重要な指摘である。『どたんば』の生き埋めになる朝鮮人坑夫、『森と湖のまつり』のアイヌの混血青年を経て、『恋や恋なすな恋』の白狐お紺に至る系譜をたどりながら、差別と被差別をめぐる極北のドラマとしての『飢餓海峡』の精緻きわまる解読が、本書のなかの白眉であるのは故なしとしない。

しかし、本書を読み終えても、内田吐夢という巨大な作品宇宙が抱える謎は依然として謎のままに残る。なかでも戦前の代表作である『限りなき前進』の今や存在しないオリジナル版は、四方田が語るようにルイス・ブニュエルの『エル』に匹敵するような不気味な狂気の発現の臨床例として強烈な印象を与える。

また、2時間22分のオリジナルのうち、ラストが消失し、117分の不完全な短縮版しか存在しない『土』にしても疲弊した農村の過酷な〝窮民現世の地獄〟(竹中労)を描きながらも、そこに垣間見える叙事詩的でフォークロア的な祝祭空間は世界映画史的にも比肩するものがない素晴らしさで圧倒されてしまうのだ。今こそ内田吐夢を再発見しなければならない。
この記事の中でご紹介した本
無明 内田吐夢/河出書房新社
無明 内田吐夢
著 者:四方田 犬彦
出版社:河出書房新社
「無明 内田吐夢」は以下からご購入できます
「無明 内田吐夢」出版社のホームページはこちら
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