ひみつのしつもん 書評|岸本 佐知子(筑摩書房 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月7日 / 新聞掲載日:2019年12月6日(第3318号)

ひみつのしつもん 書評
「キシモト的」日常
ささいな出来事の先に広がる異世界

ひみつのしつもん
著 者:岸本 佐知子
出版社:筑摩書房
このエントリーをはてなブックマークに追加
 一冊の本を読んでいるうちに、これほど涙を流したことはないのではないかと思う。ページをめくるたびに、自然と涙で視界がにじんでしまう。笑いすぎて。

本書は英米文学の翻訳者として活躍し、エッセイストとしても人気を誇る岸本佐知子が、何気ない日常の出来事を独特のユーモアでつづるエッセイ集だ。いや、この表現は正確ではない。一見どうでもよい日常の出来事から生まれる「キシモト的」な妄想を、自由奔放に書き留め、まとめたもの、とでも言えばいいだろうか。何せ、発想がことごとくぶっ飛んでいるのだ。運動したくないから「地球の裏側の誰かの運動量がこっそり私に転送されるトンネルのようなものがあったらいいんじゃないか」とか、失敗続きで自己嫌悪に陥り、自分よりさらに使えない「ニンニク絞り器、ヤカン、ジョウロ」を目の前に並べたら、なぜか優越感より親近感がわき上がった、とか。運動したくないな、あるいは、自分ってダメだな、ぐらいは、多くの人が思ったことがあるだろう。だが、著者はそんなささいなことに並々ならぬ関心を抱き、どこまでも突き詰めて妄想を膨らませる。

「洗濯日和」では、物干し竿の片方を掛け損ねてベランダの床に打ち付けてしまい、竿の中から得体の知れない液体が流れ出す。さりげない日常の一コマだが、ここでキシモト・ワールドの扉が開く。彼女は瞬時に謎の液体や物干し竿と一体化し、それぞれの視点から彼らの心情を語り出す。液体キシモトは「わっ何ここ。わっ何まぶしいんですけど何これ。何これどここれどういうこと」とパニックに陥り、物干し竿キシモトは「こんな茶色くて汚くてドロドロしたものを身内に隠していたなんて」と羞恥心にさいなまれる。それを見てぼうぜんとする人間キシモト。しかも、この世界では三者が「完全に等価」だというからすごい。

「発想がぶっ飛んでいる」と書いたが、奇をてらって突飛なことを書こうとか、読者を笑わせるために大げさな表現をしようとか、そうした作意は一切感じられない。淡々と、思ったことを書き表していく。読者はその意外性に意表をつかれ、込み上げる笑いを抑えることができない。「いやいや、どうしてそうなった⁈」、「その発想はなかったわ」と爆笑しつつも、どこかでこの不思議な世界観に共感し、独特の文体に魅了され、気付いたときにはもうキシモト・ワールドの住人になっている。というよりむしろ、小さなキシモト・サチコ(ミニ・キシモト)が読者の脳内に住み着いて帰ってくれず、物事を「キシモト的」に見るようになってしまうのかもしれない。

ミニ・キシモトと一緒に日常を見ると、そこには「どうでもよさ」と「おかしさ」がない交ぜになった、それまで味わったことのないような異世界が広がっているはずだ。『ひみつのしつもん』はその異世界への入り口である。ただし、突発的な笑いに襲われる恐れがあるので、この入り口は誰もいない場所でこっそり開くことを強くお勧めする。
この記事の中でご紹介した本
ひみつのしつもん/筑摩書房
ひみつのしつもん
著 者:岸本 佐知子
出版社:筑摩書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「ひみつのしつもん」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
田島 夏樹 氏の関連記事
岸本 佐知子 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学関連記事
日本文学の関連記事をもっと見る >