職業としての「国語」教育 方法的視点から 書評|工藤 信彦(石風社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月7日 / 新聞掲載日:2019年12月6日(第3318号)

職業としての「国語」教育 方法的視点から 書評
抒情と実践の論理
―国語的〈知〉の軌跡―

職業としての「国語」教育 方法的視点から
著 者:工藤 信彦
出版社:石風社
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 「職業としての」ではじまるタイトルには、生涯にわたり国語教師として現場で教鞭をとり続けてきたことへの強い自負と誇りが込められている。

解説で中山智香子もふれているように、『職業としての学問』におけるマックス・ウェーバーは、生計を立てるための業務という意味だけではなく、天職や専門家、使命を受けた仕事といった含みを「職業」にもたせている。素人の実践家とプロの専門家とのちがいはどこにあるか。知的な明晰さと原理的な一貫性、みずからの方法と実践への絶えざる問い直しである。本書にはそのすべてがある。

国語を教える営み、それは、「日本語の論理や感性で文章を読み、考え、語り、書く」能力を育てる仕事だと著者は簡明に定義する。この目的の達成のためには、まず文章を一つの構築物として読解する作業が必要とされる。この作業は個的に完結するのではなく、学校=教室という、集団内での営みである。集団概念の導入は、個を認識する契機ともなる。ここでは評価(テスト)もまた集団と個の相互交流の形態という視点からとらえられる。こうして、「読み、考え、語り、書く」ための授業は、教師(個)が生徒(集団)と授業の場で対峙、交流し、テストによって評価、認識していくという相互的な位相をもつ。

本書は、第一部で原理論を提示し、第二部で具体的な実践例、第三部では文化としての「国語」の位置づけ、という構成をとる。意味論や形象論、イメージ論、リズム論の導入など具体的な提唱も多数あるので、文部省による指導要領の改悪によって文学教材が削られ、国語教育がかつてない危機に瀕している今こそ、本書は読まれなければならない。凡庸な悪に抗する鋭利な武器となろう。

札幌南高校時代に、評者は著者の授業を受け、その情熱的なパフォーマンスに魅了された。ゆいいつ〈知〉と出会う貴重な時間だった。「新古今和歌集」とりわけ藤原定家の作品分析。一首を構成するいくつもの語群や詩句が、次第に相互関係性をもち、ゆたかに流動し、不思議な光を放つ有様を体験した。芭蕉については、山本健吉の『芭蕉』という異色の論集を紹介して下さった。大学の英文科で「新批評」を学んだ時、工藤先生の授業と山本の分析批評を体験したあとで、それは既知の風景に思えた。小島輝正『実存主義』を貸して頂いたこともある。日本でサルトルが読まれ始めた頃だった。

著者には、『樺太へ』(2012年)という詩集もあって、唐木順三の「すでになく、いまだない」を口癖とする若き故郷喪失者を支えたのは国家幻想ではなく、言語のもつ美と輝きだと思われる。領土を追われても日本語は失われることがない。その体験が彼を国語教師にした。「感性の構造化」という発想の源には抒情が息づく。

すでに失われた地では、雪が静かに降りつもり、炎が風に揺れている。文章が明晰で美しいのは、国家と言語の相克に向き合う、強固で柔軟な姿勢の故である。
この記事の中でご紹介した本
職業としての「国語」教育 方法的視点から/石風社
職業としての「国語」教育 方法的視点から
著 者:工藤 信彦
出版社:石風社
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