石川弘義 寄稿 欲望史的ミリオンセラー論――戦後三〇年大衆をとらえた14冊の本 『週刊読書人』1974(昭和49)年6月3日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

読書人アーカイブス
更新日:2019年12月8日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第1031号)

石川弘義 寄稿
欲望史的ミリオンセラー論――戦後三〇年大衆をとらえた14冊の本
『週刊読書人』1974(昭和49)年6月3日号 1面掲載

このエントリーをはてなブックマークに追加
1974(昭和49)年
6月3日号1面より
これまで出版史にのこるベストセラーは数多く刊行され、それらは人々の記憶に残るとともに善くも悪くも社会に影響を与えてきた。本稿は戦後から1974年までの時点での出版のベストセラーについて考察する。ベストセラーを記録した本が刊行された時、どのような社会背景があったのか、という点も含めて、当時のどんな本がベストセラーに名を連ねたかが確認できる内容である。(2019年編集部)
第1回
読み手の欲求の反映――多分にある「作為」「うさんくささ」[前]

ミリオンセラーについて私の考えを書くまえに、ベストセラーについてかねてから感じていることをすこし書いておきたい。
まず、ベストセラーという表現、よく考えてみると、実は多分にヘンなところを持っているということがある。早い話が電化製品や自動車と本とを比べてみたらいい。年間八〇〇万台以上が製造されるテレビ。自動車では六百三十万台、といういずれにせよたいへんな数字が出て来る。だが、自動車やカラー・テレビのベストセラーが何か、という情報は新聞などにはあまり登場しない。また、ベストセラー・カー、ベストセラー・テレビなどという広告表現もついぞ見たことが無い。

――この違いはいったい何を物語るものなのか。
モノとしての機能が違う、ということがまず当然考えられてよい。つまり、クルマやテレビあるいは冷蔵庫などのばあいには、ベストセラーという表現方法があまり説得性を持たない、ということだ。一つには単価が高いということがある。従ってその購買についての意志決定をするばあいある程度慎重にならざるを得ない。これは別の言いかたをすると、ミズテンでは私たちはこの種の商品をほとんど買っていないということを意味するもののようだ。問題はその価格と商品としての機能なのだから、かりにメーカーがベストセラー商品というようなことを言ったところでそう簡単に購買行動がおこるとは思えないのは当然と言うべきだろう。
いっぽう本のばあい。何十万部か売れたというような表現あるいは説得の方法には私たち読者は比較的弱い。私自身の実感から言ってもそうである。社会心理学用語でいう同調性・・・がここで機能していることはあきらかで、読んでないと何となく具合が悪いという心理のあることも事実だ。
しかし、ここで何と言っても大きな意味を持つのは価格が比較的安いということだろう。ベストセラー、いや、ミリオンセラーの大部分は、一部の大冊ものをのぞけばだいたい千円以下である。「ベストセラー」というコトバがある種の説得性を持つ事情が書物のばあいにあって、高額耐久財に関しては成立しないということは、この単位価格の相違にあることはほぼ疑いないと言ってもいいのではないか。
すこし極端な言いかたをすればベストセラーの「書物」に関しては私たち読者はつねに有る種の寛容性を持ってきている。つまり、買って、それが面白くなくてもそれほど気にはならないということだ。ベストセラーの中には面白くないものもあるさ、あるいはベストセラーとはしょせん・・・・こんなもの――このような判断のわく組みが私たち読者の心理のどこかにあるのではないのか。私はどうもこのようにしか思えないのである。

本紙の読者とくに編集関係の仕事に従事しておられるかたにはあまり愉快でない話かもしれないがいずれにせよ、ベストセラーの「ベストセラー性」には、買い手のこのようなある種の寛容さがつねにともなっているということについて考えてみることも必要なのではないのか。
2 3 4
このエントリーをはてなブックマークに追加
読書人アーカイブスのその他の記事
読書人アーカイブスをもっと見る >
文化・サブカル > 文化論関連記事
文化論の関連記事をもっと見る >