新しい日本語文学の地平へ。そして変化する文芸の場。  李琴峰「星月夜」、乗代雄介「最高の任務」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月10日 / 新聞掲載日:2019年12月6日(第3318号)

新しい日本語文学の地平へ。そして変化する文芸の場。
李琴峰「星月夜」、乗代雄介「最高の任務」

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今回で、この欄の担当の任期が終わるので、最後に苦言めいたことを呈する。最近、Twitterで小説家が自作解説めいたことをするのを目にするが、やめた方がいいのでは。作者の声が簡単に聞ける時代において、彼らはもう少し慎重になった方がいいのではないか。

さて、時評に入ろう。李琴峰の話から。彼女は、これまで文化と性という、私たちの存在を高次元で抑圧し、恣意的に規定する、鳥かごのような箱のなかで、羽根を傷めながら、その外へ、飛翔しようとするものたちの物語を紡いできた。「星月夜」(『すばる』)で、作者は、これまでより一段高い地点に到達している。物語の視点人物は、日本語学校に勤める台湾出身の女性教師と新疆ウイグル自治区出身の女子学生。物語は、二人の、水の重さで破れてしまう薄膜みたいな恋愛を描きつつ、政治情勢が穏やかでない母国の重石を背負い続けながら異国で暮らす女子学生の心細さ、怯えを映し出す。言語という拠り所をいつまでも自分のものにできない不安。日本の公権力が彼女に振るう暴力。セクシュアルマイノリティの抱える寄る辺なさ。艱難辛苦に喘ぐ彼女の呼吸を、それを護ろうとする女性教師の眼差しを、作者は、詩情をたっぷりと含んだ文章で描出する。新たな日本語文学の地平へ。鳥は飛び立つ。

古市憲寿「奈落」(『新潮』)は、十八年前に、人気絶頂のなかステージから落ちた、ある女性歌手が主人公。以来、彼女の全身は麻痺して動かない。明晰な意識だけがある。家族からの裏切り、彼女をそれでも利用し続けようとする芸能界への怒り、恋人同然だった男性への失望。彼女が絶望の深みに落ちれば落ちるほど、読者の眼前には一人の人間の屈強な意思が浮かび上がってくる。世界から隔離されてしまった人間の意識を濁りのない筆致で捉えた作品だ。

坂上秋成は男性という性を、物語のなかで、今一度、捉え直そうとする小説家だ。前作の「私のたしかな娘」もそうだったが、「おぼれる心臓」(『文學界』)でも、坂上はそうした問いを前にして、安易な答えに飛びつかずに、筆を進めながら、考える。その思考の軌跡が読んでいて心地よい。今回の作品では、英国でプレイするサッカー選手とその妻の間にある愛が、ある事情で澱んでしまう。夫である語り手は澱みのなかで、自己のメンタリティを保とうとする。その葛藤を描き切った小説だが、一点、この落ち着き払った文体と夫の精神状態のちぐはぐさが気になる。抑制された文章の割に、語り手のメンタルはぶれている。思わず語り手に、無理すんなよ、と言いたくなった。

書くという営為に対する求道者なんだろう、乗代雄介は。「最高の任務」(『群像』)は、叔母の死(これも作者にとって重要なモチーフなのだと思う)をきっかけに、過去の記憶のなかに埋められている、自己の支えとなっている原的な体験を、日記を書くことで掘り起こそうとする物語だ。この語り手の「私」は、書くということ、何より、景色を描くということに対して、異常なまでに拘泥している。すなわち、語り手、そして作者である乗代雄介は、文学の表現技法におけるオーソリティとでもいうべき、風景描写に対して、果敢にも真正面から挑戦しているのである。小説は決して抽象度が高いものではない。叔母が遺したメッセージを見つけ出そうとする、シークアンドファインドの物語としても、胸を打つ。ここが、早くもこの作者の一つの到達点であることは間違いない。

最後に、SNSでオルタナティヴな創作の場が現れたことにも触れよう。ブンゲイファイトクラブがTwitterで盛り上がっている。創作者のガチンコ勝ち抜きバトルであり、評者も裁かれる闘い。見ていて何より愉しいのは、観客の歓声が聞こえるところだ。かつてこれほど作品を書く/読むことに対する興奮の渦が可視化された空間があっただろうか。文芸の紡がれる場所は、明らかに、変化している。そのことが、文芸を愛する人間の、一つの嬉しい発見であった。(ながせ・かい=ライター・書評家)
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