東電刑事裁判の判決の誤りを徹底批判する 海渡雄一弁護士(東電刑事裁判被害者代理人)インタビュー(聞き手=佐藤嘉幸)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月12日 / 新聞掲載日:2019年12月6日(第3318号)

東電刑事裁判の判決の誤りを徹底批判する
海渡雄一弁護士(東電刑事裁判被害者代理人)インタビュー(聞き手=佐藤嘉幸)

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第4回
第四の論点——津波対策工事の先送りについて

佐藤  
第四の論点に移ります。東京電力は二〇〇八年二月、予想される津波の高さを、敷地内にある四メートル盤のみが浸水するレベルである七・七メートルだと考えて、津波対策工事を行うことを決定した。これは裁判でも立証されています。ところが、二〇〇八年三月、東電設計が津波高一五・七メートルの予測を出します[図4]。そうなると、一〇メートル盤上にある原子炉建屋の浸水を防ぐためには、その上に一〇メートルの防潮壁を築くなどかなり大掛かりな工事が必要になる。その結果、二〇〇八年七月、一転して東電は、津波対策工事を先送りにする決定をする。この点を立証する証拠がたくさん出てきています。判決がその点をまったく認定していないのは、不思議としか言いようがありません。
図4

海渡  
ここはすごく重要なポイントなので、詳しく説明します。まず、東電社内で開かれていた「御前会議」というものがあり、これが何かということです[図5]。主たる出席者は、武黒一郎、勝俣恒久、清水正孝、武藤栄の経営陣四人と、東電本店の原子力部門の部長、そして各原発の所長以下の幹部です。それに加えて、説明者である山下和彦中越沖地震対策センター長、吉田昌郎原子力発電設備管理部長がいる。さらに、副部長格であるゼネラルマネージャー(GM)数十人も後ろに控えている。つまり、原子力に関わる幹部が勢揃いする会議である、ということです。この会議の目的は何か。中越沖地震後、東電の柏崎刈羽原発の原子炉が全機停止しましたが、その運転再開を急がなければならない。そのために迅速な意思決定をしていく必要がある、ということで、原子力関係の幹部を全員東京に集めて、日曜日一日かけて開いていた会議です。前例があまりないものだったそうですが、清水氏は調書の中で、「東電の中で最も重要な会議だった」と言っています。しかし、裁判になると被告人たちは、「情報交換の場であり、何かを決める場ではなかった」と証言しました。確かに常務会のような何かを決めるための会議ではない。しかし、これはまさに原子力事業の方向性を合意していくための重要会議であり、だからこそ「御前会議」と呼ばれ、日曜日にこれだけのメンバーを集めて、朝から晩まで話し合ったのです。それが単なる情報交換の場だったということは、どう考えてもあり得ません。
図5
御前会議の資料も裁判で明らかになっています。「二・一六御前会議資料 七・七メートル以上、さらに大きくなる可能性」[図6]にある、「地震随伴事象である「津波」への確実な対応」というものです。前者が土木調査グループ作成、後者が耐震技術グループ作成と言われており、会議で配布されたことは、被告人たちも争っていません。しかし、彼らは見たことも、説明を受けたこともないと言い張っている。あり得ないことですね。資料をよく見ると「津波高さの想定変更(添付資料参照)」とあり、津波高を従来の「+五・五メートル」から「+七・七メートル以上」へと赤字で記しながら見直し案を入れている。加えて「詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」と備考にあります。この資料に基づいた説明がなされたことの証拠もあります。三月六日に、機器耐震グループの山崎GMが土木調査グループの酒井俊朗GMに送ったメールです[図7]。

「1F/2F津波水位に関する打ち合わせ」に続いて、次のようにあります。「現在、土木Gにて津波高さの検討を進めており、結果がもうすぐ出るとの話を聞いております。また、先回の社長会議でも津波の対応について報告しています。評価上、津波高さが大幅に上がることは避けられない状況であることから、その対策について具体的なエンジニアリングスケジュールを作成し、土木、建築、機電を含めて今後の対応策について検討していく必要があります。キックオフとして以下の日時(三月七日)にて打ち合わせを実施したいと考えておりますのでご参集の程お願いいたします」。これは津波の計算をしたグループではなく、工事にあたるグループが、そのやり方についての会議の開催を告知したメールです。つまり、既に対策に取り掛かる必要があると考えられており、津波対策工事のスケジュール案まで添付されていた[図8]。
その予定表を見ると、ほとんどの対策は、ほぼ二年以内に終わるように組まれています。
図6

図7

図8

次は、このメールで書かれている「打ち合わせ」の議事録です。会議は、実際に三月七日に行われています。その議事録にはこうあります。「土木G[グループ]の津波水位に関する評価状況から1F、2F[福島第一、第二原発]については今まで想定していた津波の水位を上回る見込みである(社長会議にて説明済み)」。さらに、「一〇メートルを超える可能性がある」とまで書かれている。「用意したES[エンジニアリングスケジュール]も津波水位が一〇メートルを超えると成り立たないこと、対策自体も困難であることを説明。土木G[グループ]にて再度水位設定条件を確認した上で、想定津波高さが一〇数メートルとなる可能性があることについて、上層部へも周知することにした」。だから、二月の御前会議の時には一〇メートル以下で収まると考えられていたのですが、この時点では、それを超える事態について話し合われていたことがわかります。いずれにせよこれは、工事スケジュールまで作成し、各グループで検討し始めていることがはっきりとわかる証拠です。ところが判決の中では、山崎氏のメールは「事実ではない可能性がある」としてこの証拠を跳ね除けている。メールまで残っているのに、そんな無茶苦茶のことがよく言えるものです。
もし山下和彦中越沖地震対策センター長が認めている、この会議での説明があり、津波対策を講ずる方針が了承されたことが事実だったとすると、被告人たちの言い分は根底から覆ります。なぜなら、推本の長期評価に基づいて対策工事の実施を決め、具体的な工事内容まで詰めていくという話になったことが明らかだからです。その後対策をとらなかったということは、まさにこの時の決定を「ちゃぶ台返し」したことになります。
佐藤  
細かいことですが、二月の御前会議で「七・七メートル以上」という試算が出ています。これは推本の長期評価を踏まえて計算したが、荒い計算だったということでしょうか。その後、津波高の予測が二倍以上になるわけですから。
海渡  
津波の計算は、まず一番よくありそうな津波の高さの計算をする。それが概略計算です。さらに、原発にとっては一番厳しくなる条件を設定して、たくさんの計算をして、その中で最も高い津波高を出す過程が詳細パラメーター・スタディーです。実際の計算をするプロに言わせると、二つの計算式の間で倍ぐらいの差が出るのは当たり前のことだということです。ただ、「一五・七メートル」という数字が出てきたときには、山下さんもびっくりしたと調書の中で言っています。そして、この後何が起きたかといいますと、「一五・七メートル」は高すぎるから、吉田さんや山下さんが現場に押し戻して、一〇メートル以下に下げられないか、津波高を計算し直すよう命じるのです。三月から四月にかけては、そういうことをやっています。東電設計の担当者の久保さんは、小手先のことで津波高を下げることはできないと拒否する。結果として「一五・七メートル」の津波高に対応して対策をせざるを得なくなったのが、四月二〇日過ぎぐらいです。そこから議論を始めて、役員に対策案を提案したのが六月一〇日となるのです。
佐藤  
「一五・七メートル」という数字が出てくると、やはり経営陣は慌てますね。対策工事が大規模になるだけではなく、その間原子炉を止めなければならなくなり、得られるはずの利益が得られなくなる。だから工事を遅らせようとした。具体的には、土木学会に検討を依頼することが選択された。土木学会の検討が数年かかることはわかっていた。さらには、土木学会に検討を依頼しても津波高は一三・六メートルにしか下がらないことも、津波対策を先送りした翌月の二〇〇八年八月の時点で、東電設計の追加計算によってわかっていた。明らかに、工事を遅らせるための時間稼ぎが目的だったわけです。
海渡  
六月一〇日の会議について説明しておきます。武藤さんを囲んで、吉田原子力管理部長、山下中越沖地震対策センター長、加えて、機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループが出席している。さらに重要なのは、東電の広報部長が同席していることです。どういうことか。津波対策を実施することになったとき、福島県や、原発のある双葉町、大熊町にどう説明するか、そのことも含めて議論する場だったわけです。しかも、この会議は二時間もやっている。この会議は、二月に元々予定していた四メートル盤上の対策を、さらに拡充して一〇メートル盤の上でもやることを決めてもらうための場だったと思います。ところが、結果的に四つぐらいの宿題が出されることになり、決定は持ち越されてしまう。現場の土木技術グループとしては、対策実施を決めてもらえると思っていた。そのことがはっきりうかがえる証拠もあります。七月二三日、太平洋岸四社情報連絡会が行われます。東京電力と東北電力、東海第二原発を持つ日本原電、日本原子力研究開発機構が参加しています。この場で「防潮壁、防潮堤やこれらを組み合わせた対策工の検討を一〇月までには終えたい」と、土木調査グループの津波担当である高尾誠氏が説明しています。他の会社もいる場での発言ですから、当然対策工事をやるつもりでいるわけです。ところが七月三一日、前回(六月一〇日)出された宿題に対する説明をしていくと、会議の終りがけに武藤さんが「研究を実施しよう」と言った。つまり、あくまでも「研究」であり、実際の「対策」は実施しない、という意味です。そして、「土木学会に検討してもらう」とも言った。時間稼ぎをしつつ福島第一原発が止まらないようにして、柏崎刈羽原発の運転再開を待つという狙いがあったのでしょう。
佐藤  
「研究を実施しよう」と言われて「力が抜けた」、と高尾氏は述べていますね。
海渡  
「前のめりに対策を煮詰めようとしていたのに、対策を実施しないという結論は予想していなかったので力が抜けた」と証言されています。正直な気持ちだったと思います。現場の技術者として、ここまでの資料を揃えて上層部に上げたのだから、きちんとした対策をやってもらえると思っていた。しかし、そうはならなかった。
もう一つ重要なことがあります。東海第二原発では当時、津波に対する工事が既に始まっていた。東電とほとんど同じ時期に計算結果が上がってきて、対策工事案を出すと、すぐに常務会を通って、建設工事が始まっている。日本原電の安保秀範GMと東電の酒井GMの間で、こんなやりがあったことが明らかになっています。安保さんが「二階に上がって、梯子をはずされた状態になった。自分は東電がやると言ったから始めたのに、本家本元の東電がやらないとはどういうことか」と訊ねる。それに対して酒井さんが答えます。「柏崎も止まっているのに、これと福島も止まったら経営的にどうなのかって話でね」。要するに、大規模な津波対策を決めて発表すると、福島第一原発も止めなければならなくなる。そうすると、ただでさえ柏崎刈羽原発が止まって経営が苦しいのに、東電の経営が傾いてしまう。だから対策を先延ばしにする。このように考えていたことは明らかだと思います。
佐藤  
酒井氏の発言は決定的ですね。東電の収支に影響が出ることを怖れていたことがはっきりわかります。
海渡  
耐震補強の工事だけで大変な金額がかかる。柏崎刈羽原発だけで三二六四億、福島第一、第二原発の耐震補強で一九四一億円、総額で五二三七億円です。[図9]
これは津波対策の費用を除いた金額です。ただ、そのお金がもったいなかったのではなく、その間福島第一、第二原発の両方を止めなければなくなり、一基も原発が動いていない状態になることを怖れたのだと思います。
図9

佐藤  
今挙げていただいた金額が書かれた東電の報告事項には、「概算想定(津波対策を除く)」と書かれています。これも不可解な文章ですね。なぜ津波対策の費用が書かれていないのか。
海渡  
吉田調書というのが問題になりましたが、この裁判でも証拠になっています。そこからわかってくることがあります。この報告は御前会議の資料なのですが、「津波対策を除く」と書いてあれば、役員は当然いくらかかるか聞いてくる。吉田昌郎所長も「聞かれた記憶がある」「一〇億、二〇億ではなく、桁の違う金額になる可能性がある」と説明したと言っています。だから、実際に御前会議では、津波対策の経費がどれぐらいかかるか、そして原発が動かなくなったらどの程度のマイナスが生じるかについて話し合っていたのではないかと思います。ただ、議事メモが正確に残されていないので、現状ではそれ以上のことはわかりません。
佐藤  
津波の問題は機密事項なので、外に漏れてはいけないようなメモを残さない、という配慮があったということでしょうか。
海渡  
そうなのです。そのことがわかる資料があります。二〇〇八年九月一〇日、「耐震バックチェック説明会(福島第一)」の議事メモが残っている。そこに何が書かれていたか。「津波に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事メモには記載しない)」とあります。馬鹿みたいな話でしょ。残っている御前会議の議事メモで、津波のことが出てくるのは二〇〇九年二月の議事録しかないのですが、それ以外では、津波対策について話し合われていないと被告人たちは言っている。もちろん嘘だと思います。すべての会議で話し合いがなされていた。でも、全部機微事項扱いにして、配布資料は回収し、メモも残さなかったのではないかと私は思います。
この説明会の二日前、酒井俊朗氏土木調査グループGMが、高尾誠津波担当とその部下である金戸俊道主任の両人に送ったメールがあり、これがまた大変奇妙なのです。「津波については、真実を記載して資料を回収」、「最終的に平成一四年バックチェックベース(改造不要)ということで乗り切れる可能性はなく、数年後には(どのような形かはともかく)推本津波をプラクティス化して対応をはかる必要がある」。これが真実であり、これほど明白な証拠はない。私は被害者意見の中で、極めて重要な証拠であると強調しました。しかし、判決ではこの点に一行も触れていません。都合の悪いものには一切触れないわけです。
しかも、この九月一〇日に配布された資料には、次のような記載もある。津波対策は「改訂された「原子力発電所の津波評価技術」によりバックチェックを実施。ただし、地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」。繰り返しますが、これが真実なのです。不可避なものを先延ばしにしていることを、現場には知らせる。しかし絶対に外部に出ないようにする。福島県にも知らせないし、地元市町村にも知らせないし、国にも知らせない。完全にひた隠しにしていく。そのことが、残された資料からもよくわかります。
同じような証拠がもう一つあります。二〇〇九年二月の御前会議の報告文書に、津波に関する記載が奇跡的に残っている。「地震随伴事象(津波)」とある箇所の左側に、「問題あり」「だせない」「(注目されている)」と手書きの文字で記されています[図10]。当時は地震対策以上に津波の問題が重要視されていて、外には出せなくなっていたことがわかります。そういう状況で議論がされていた。「津波について問題意識を持つことはできなかった」と被告人たちは述べていますが、違います。福島第一原発の耐震バックチェックが何年も遅れたのは、津波対策を含む最終報告の審査をやったら、阿部教授らから津波対策を求められる、それを恐れたためです。そこで、土木学会でも検討中ということで最終報告の提出を遅らせ続けた。そのことは明らかです。これでなぜ刑事責任が問えないのか。まったくわかりません。
図10

佐藤  
これほど明白な証拠があるのに無罪判決が出されるというのは、酷い話ですね。
海渡  
私たちが重要だと思っている証拠が、判決ではすべて無視されている。山下和彦(中越沖地震対策センター長)調書の中には、二〇〇八年二月に津波対策方針が了承されていたことの証拠もあります。しかし、それは信用できないと切り捨てる。山下さんの供述は残っている客観証拠で全部裏付けられている。ここが今回の判決の最も酷いところだと思いますね。
佐藤  
判決要旨の中では、この論点が大幅に省かれています。
海渡  
(この点については、判決全文がインタビュー時には公開されていませんでしたが、一一月上旬に判決全文が公開されました。そこで、以下判決全文に基づいて論ずることとします。)
この部分で、判決は次のように述べています。
「ところで、山下は、この打合せにおいて、想定する津波高さの変更について自ら報告し、了承されたので、耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り込むという東京電力としての方針が決められた旨供述している。これに対し、被告人ら三名は、公判において、山下から想定津波高さの変更の報告はなかったとした上で、何らかの方針が決定、了承されたり、方向性が確認されたこともないと供述している。上記の山下供述に関しては、機器耐震技術グループの山崎英ーが後日作成した電子メールやメモに津波対応を社長会議で説明済みとの記載があるなど、山下供述の裏付けとなり得る証拠も存在する。しかしながら、この打合せの議事録には、当該議題に関する主要議事として基準地震動ssに関する記載があるのに対し、津波に関する記載は一切ないことや、参加者として山崎の氏名が記載されておらず、同人が実際に同打合せに参加していたのかも定かではないことからすれば、山崎の前記のメールやメモの記載は、山崎が資料の配布をもって報告と表現したものである可能性を否定できない。また、同打合せの時点では、後記のとおり、東電設計に委託していた津波水位計算の正式な計算結果が伝えられておらず、方針の決定、了承又は方向性確認の前提となる情報が必ずしも揃ってはいなかったこと、土木グループの金戸俊道が後の平成二〇年五月に他の原子力事業者の担当者に対し海溝沿い地震の扱いについて東京電力の対応方針が未定である旨を伝えていることなど、この打合せにおいて東京電力としての方針が決定又は了承されるなどしたこととは整合しない事実も認められる。のみならず、仮にこの打合せで東京電力としての方針が決まっていたとすれば、後の同年六月に吉田や酒井ら土木グループの担当者が被告人武藤に耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り入れるか否かの方向性について相談することや、まして被告人武藤が同勝俣ら最上位の幹部がいる場で決まった方針をその一存で、ひっくり返すに等しい別の方針を示すことは考え難いところである。一方で、山下としては、自らが被疑者として取調べを受ける中で当該記載のある資料を配布した事実から推測で供述している可能性や、当該記載に対して席上誰からも指摘がなかったことをもって黙示の承認と受け取り、上記供述に至った可能性も拭えない。以上によれば、上記の山下供述の信用性には疑義があるといわざるを得ず、被告人らには、同打合せの配布資料に記載された、 O.P.[小名浜港工事基準面]+五・五メートルからO.P. +七・七メートル以上への津波高さの変更に関する情報を認識する契機があったとはいえるものの、それ以上に、津波高さの変更についての報告が行われて、これが了承され、耐震バックチェックの津波評価に「長期評価」の見解を取り込むという東京電力としての方針が決定されたといった事実までは、認定することができない」。
しかし、この山崎氏のメール全体が、御前会議での方針の了承を踏まえて、東電各グループを横断して会社全体としての津波対策を議論する、キックオフ・ミーティングの開催を告知したものであることは明らかです。そして、その会議で、工事部隊が津波対策工事の具体的な内容とスケジュールまで示していることは決定的です[前出、図7、8を参照]。

また、金戸氏が五月に対策は未定としていること、六月に武藤と話し合いがなされたことは、二月に社として対策をとる方針が決まっていたことと、まったく矛盾しません。なぜなら、二月に了承された津波対策は、津波高さが一〇メートルを超えず、対策が四メートル盤で完結することが前提となっているのです。ところが、想定津波高さが一五・七メートルで固まり、東電設計に高さの低下を指示しても断られ、一〇メートル盤の上での抜本的な対策が不可避になったことを受けて、金戸氏は、対策は検討中で「対応方針が未定だ」と言っているのです。そして、六月の会議は、二月に了承された方針を前提に、四メートル盤の上だけでなく、一〇メートル盤上の具体的な対策の方向性を議論するために持たれたのです。

何よりも山下氏は、想定津波の高さが一〇メートル盤を超えなければ、津波対策を実施していた、と供述しているのです。いったん決定していた津波対策を取らないことにする「ちゃぶ台返し」が行われたのは、想定津波高さが高くなったために対策費用がかさむからだけでなく、柏崎刈羽原発が停止している中で原発の停止リスクを経営的にどうしても避けたかったからだ、という山下氏の供述は、残されているあらゆる証拠と適合し、高い信用性が認められます。この点は、高裁審理の天王山であり、熱い論争が闘われることになるでしょう。
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