音に聞く 書評|髙尾 長良( 文藝春秋)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月14日 / 新聞掲載日:2019年12月13日(第3319号)

音に聞く 書評
姉と妹、言語と音楽
「言葉か音か」の葛藤の行く末を描く衒学小説

音に聞く
著 者:髙尾 長良
出版社: 文藝春秋
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音に聞く(髙尾 長良) 文藝春秋
音に聞く
髙尾 長良
文藝春秋
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 妹の才能に対する姉の嫉妬。父親の愛情の奪い合い――凡庸な話柄だ。

その話を手記としてまとめ、他人に読ませる額縁小説――古色蒼然とした技法だ。

もちろんあえて選ばれたのであり、その古めかしく平凡な料理を、いかに絢爛豪華な一皿に仕立て上げるかということにすべての力倆が注がれた小説である。

姉妹の父親は、妹が生まれた十五年前に母親と離婚しており、父と妹とは面識のないままだったが、母が亡くなる。父は音楽理論を専門とする教師で、ウィーンに住んでいた。

専門的な音楽教育を施されなかった姉妹だったが、妹は天賦の才で父の残した楽譜で独学し、十一歳で作曲をはじめ、母の亡くなるまでに既に新人向けの賞を二つも獲っていた。

歳の離れた姉は、妹の才能を伸ばすためにも、ウィーンの父を頼ることを決める。翻訳を生業としている姉は、現地のことばにさほどの苦労もない。

ここから、先述の父をめぐる姉妹の葛藤が始まる。

父は妹に非常に興味を示し、妹のことばによれば、そこには異性としての興味さえ含まれているように思える。妹自身はただただ気味悪く思うばかりだが、姉はそれを複雑な思いで受け止める。

またさらに、父は現地の夫もちのソプラノ歌手との醜聞を抱えていた。それは父の学生たちの口さがない噂にすぎないかもしれないが、姉の心はかき乱される。才能と父からの愛情の二点における嫉妬と、父自身への愛情に苦しむ姉の姿が三人称で描かれた手記である。より精緻なジュネットの用語に従えば、叙法のパースペクティヴにおいて内的焦点化された固定焦点である姉が、態の語りの人称において異質物語世界的に記したのがこの手記の描き方だということになる。

もちろん、こんな文学理論の細かい用語など知らずともこの小説は読めるが、しかし豊富な巻末註を見ればわかるとおり、これと同じくらい細かい音楽用語を知らないと十分には理解できない。登場人物たちはこうした用語を、デノテイティヴに音楽を語るときに使うばかりでなく、コノテイティヴにさまざまな喩として用いるからである。

二重の意味性はたとえばタイトル自体にも現れていた。まずは音楽小説であることを表面的に示しつつ、「音に聞く」とは言うまでもなく「噂に名高い」という意味であり、百人一首にも採られている祐子内親王の歌ではそれは浮気に関する噂だった。

姉妹たち自身が、翻訳と作曲、すなわち言語と音楽の一種の象徴となっており、この手記の全体が「Wort oder Ton(言葉か音か)」という葛藤の行く末を描くものともなっている。 

無数に鏤められた音楽や文学にまつわる知識の粒々を口中で一つひとつ潰しながら味わっていくタイプの小説であり、このペダントリーに酔えるかどうかは人によるだろう。

音大を目指しつつも、長男だからという理由で父親から許可されず、やむなく文学部に進んだものの、弟二人はそれぞれ楽理を大学で講じチェロ弾きとなった私なぞ、まったくこの小説の選ばれた読者にふさわしいのでは、と一人悦に入りたかったのだが、どうにもわからないのは、額縁小説の額縁部分の嘘である。姉が三人称で書いた手記、として手渡されたものだが、ほとんど音楽教育を受けていないはずの姉が、これだけの音楽的知識を盛り込んだ手記など書けるはずがないのだ。なぜ嘘をつく必要があったのか。額の中の絵には堪能できても、再び額に目を戻すときに酔いは一気に醒めてしまう。私にはこの一皿を味わう資格はまだないのかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
音に聞く/ 文藝春秋
音に聞く
著 者:髙尾 長良
出版社: 文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
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