路上の映像論 うた・近代・辺境 書評|西世 賢寿(現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月14日 / 新聞掲載日:2019年12月13日(第3319号)

路上の映像論 うた・近代・辺境 書評
「懐かしい未来」への果敢な「逃走」
「語り物としてのドキュメンタリー」をめぐる、言葉による語り直し

路上の映像論 うた・近代・辺境
著 者:西世 賢寿
出版社:現代書館
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 かつてのフェデリコ・フェリーニや大島渚、現在のジャ・ジャンクーやペドロ・コスタがそうであるように、優れた映像作家はドキュメンタリー作家の資質を合わせ持っている。

評者はかねてから、NHKのディレクターとして、数々の破格の長篇ドキュメンタリーを手がけてきた西世賢寿に、劇映画を撮らせたらどうだろうと考えてきた。

一九九六年に、ETV特集「作家 中上健次の世界」の取材担当で、西世に出会って以来の変わらぬ思いである。だが、彼が自らの過去の作品の生成に不可欠だったその「終わりなき旅」を、たどり直すように語り起こされる本書を一読し、西世的な記録映像が孕みもつ、地を這うようなドラマトゥルギーに立ち会う思いがした。

例えば、中里介山の『大菩薩峠』という未完の近代小説を、五時間を超える長尺のドキュメンタリーに仕上げた彼は、律儀にその内容を再構成しようなどとはしない。むしろ机竜之介という主人公に、求心的に近づくことを周到に避け、遠心的にこの「小説」の「物語」的な可能性に向けて、劇映画的な逸脱を重ねるのだ。

そのための手段として彼は、マイナーなアンチヒーロー「宇治山田の米友」を召喚するだろう。あるいは番組では、この長篇と直接的には無縁な琵琶盲僧や元浪曲師が相次いで登場する。本書はこうした、「語り物としてのドキュメンタリー」をめぐる、言葉による語り直しなのだ。

もとよりそれは、中心を逸脱する動態的な映像の文字による定着、固定化などではない。『大菩薩峠』の限界を、天皇制に回収されざるをえない「近代小説」と見定めた著者は、それを「物語」的に裁ち直し、幕末の国定忠治をめぐる民衆的な「語り」へと大胆に舵を切る。

本書で試みられるのは、再現不可能な「過去」へのノスタルジックな遡行ではなく、「懐かしい未来」への、およそNHKらしからぬテレビディレクターによる果敢な「逃走」なのだ。

西世の手にかかると、焦眉の問題としての「福島」と「沖縄」は、奇蹟的に接続される(第2章「〝境界の家〟で―福島の山河、沖縄の海」)のだし、竪琴を携えての奄美を拠点とする流浪の旅の果てに倒れた盲目の「唄者」(里国隆)の生涯は、河内音頭という「辺界から押し寄せる〝うた〟」(第5章)の担い手たちの現在に難なく接続される。

こうして『路上の映像論』は終盤で、済州島からの戦後の亡命詩人・金時鐘と、今や国民詩人に祭り上げられつつある吉増剛造とのこれまた奇蹟的な邂逅と協働へ向けての新たな旅に変奏される。

彼らは、辺界を彷徨する無名の「唄者」や、現代に甦る〝踊る百姓一揆〟(河内音頭のパフォーマンス)の継承者たちと、掛け値なしに横並びに等置される。大阪の旧陸軍工廠に潜入し、鉄塊の残骸を奪還した往年の「アパッチ族」の一員・金時鐘と、米軍横田基地周辺で少年時代を過ごした吉増剛造。およそ対極に位置する二人の現代詩人の遭遇を、西世賢寿は鮮やかに「路上」の劇として成就させる(第6章)のだ。
この記事の中でご紹介した本
路上の映像論 うた・近代・辺境/現代書館
路上の映像論 うた・近代・辺境
著 者:西世 賢寿
出版社:現代書館
以下のオンライン書店でご購入できます
「路上の映像論 うた・近代・辺境」出版社のホームページはこちら
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