セザンヌ 近代絵画の父、とは何か? 書評|永井 隆則(三元社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月14日 / 新聞掲載日:2019年12月13日(第3319号)

セザンヌ 近代絵画の父、とは何か? 書評
新たなセザンヌ像を切り開く
「近代絵画の父」像からの脱出

セザンヌ 近代絵画の父、とは何か?
著 者:イザベル・カーン
編集者:永井 隆則
出版社:三元社
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 本書は、「近代絵画の父」と呼ばれてきたセザンヌ像が、フランス、ドイツ、英米、日本においていかに形成され、どのように変貌していったのかを5名の研究者が明らかにした第1部と、最新の研究成果をふまえたセザンヌ芸術の基礎概念に関する解釈、およびセザンヌの人生に関わるさまざまなトピックの解説を中心に、セザンヌ展の歴史やセザンヌ文献表などの詳細な情報が加えられた第2部から構成されている。

第1部に収録された論考の内容をまずは紹介しよう。工藤弘二氏は、セザンヌのりんごにまつわる同時代の画家や批評家たちの言説と、彼らが目撃したであろう作品をたどりつつ、フランスにおいてセザンヌの芸術家像が形成されるうえでこの果物が不可欠な存在だったと位置づけている。大木麻利子氏は、美術史家マイア=グレーフェによるセザンヌとハンス・フォン・マレーとの比較論を検討しつつ、ドイツにおけるセザンヌ受容の複雑なメカニズムを解明している。編者の永井隆則氏は、「近代絵画の父」という表現に関して、日本では須田国太郎が「写実」の創始者という意味で用いたのが最初であり、それが京都学派の芸術論の中で「純粋視覚」の開拓者という意味に置き換えられていったと指摘している。これらの論考は、神格化のための紋切り型として繰り返されがちな「近代絵画の父―セザンヌ」像が、セザンヌ芸術の奥深さにわれわれが注目する可能性を狭めてきたことを、あらためて認識させる。浅野春男氏の考察にあるとおり、形式主義から出発した英語圏の多くの研究者が、セザンヌ芸術の特徴をその造形性に見出し、様式論的・図式論的に読み取る傾向が強かったという事情も見逃せない。

その意味で、第2部で深く掘り下げられた概念や知識は、芸術論を執筆しなかったセザンヌを多様な視点でもって現代に蘇らせる契機となり得る。たとえば、エミール・ベルナールの紹介によって人口に膾炙していった「自然を円筒、球、円錐によって扱いなさい」という有名な表現は、「球体と円錐と円筒に従って肉付けする」という別の公式との関連において理解されなければならない。その表現を、幾何学形態による造形を目指した立体派やシュプレマティスムが創造的に誤解したという指摘は、近現代美術に関わる者にとって立場を問わず重要である。セザンヌが「感覚」の語を複数形で用いていたという事実も、「純粋視覚」による「純粋絵画」の確立者として長らくみなされてきたセザンヌに対するわれわれの感じ方を、文字通り活性化させるものである。受容史研究の成果に基づいて、モダニズム、さらには現象学や精神分析が前提としてきた普遍的なセザンヌ像に疑義を呈し、新たなセザンヌ像の構築の可能性を切り開こうとする本書のコンセプトが発展して、本格的な「セザンヌ事典」へと将来結実することを期待したい。
この記事の中でご紹介した本
セザンヌ 近代絵画の父、とは何か?/三元社
セザンヌ 近代絵画の父、とは何か?
著 者:イザベル・カーン
編集者:永井 隆則
出版社:三元社
以下のオンライン書店でご購入できます
「セザンヌ 近代絵画の父、とは何か?」出版社のホームページはこちら
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