中平卓馬をめぐる 50年目の日記(36)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2019年12月16日 / 新聞掲載日:2019年12月13日(第3319号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(36)

このエントリーをはてなブックマークに追加

喫茶店の椅子に腰を下ろすと、「子どもの使いにもならなかったな。やらずもがなのことをやってしまった」と言って、中平さんと森山さんは東松さんを訪ねた自分たちを嘲るように笑った。
「どんな期待を持っていったんですか」と私は包みの紐が食い込んだ跡がなかなか消えない指をさすりながら二人に聞いた。森山さんは含み笑いをするばかりで推し測れなかったが、中平さんには編集者の時に東松さんと一緒に試みたような、写真に固有な言語性を発見するワーク、つまり写真は言葉の説明役ではないという認識から求められるワークに関わりたかったので、という気持ちがあったようだ。

というのも、その時中平さんは「パリマッチ」や「シュテルン」のグラフ雑誌、建築デザインの専門誌「ドムス(DOMUS)」などにおける写真の使い方をしきりと話していた。
「ライフは?」と訊くと「あれは文字を写真にしただけでしょ?」とすげなかった。「太陽は?」とさらに訊くと、「かなりいいよ、できたての頃のは今よりずっとよかったけどね。そのよかった頃の編集長が小林祥一郎さんだよ、このあいだ頼んでみたらと言った、あの小林さん」

なるほどそういう文脈で挙げられた人だったんだ、とその時になってようやく批評雑誌の執筆陣の輪郭が分かった気がした。

たしかに、私たち学生の間でも「太陽」は眩しい存在の雑誌だった。新聞ジャーナリズムの力でつくる「アサヒグラフ」のビビッドな誌面作りに対して、「太陽」にはグラフィックデザインやタイポグラフィー、エディトリアルのプロが集まってつくった緻密さ、美しさがあった。そういう集団の写真の活用法が素敵だと私たちは思ったものだ。

「太陽」は横組みの編集で始まった。左開きの雑誌である。しかし数年後には縦組みになった。

荒木経惟が「荒木のぶよし」として第一回目の受賞者になった太陽賞は創刊の翌年から始まったが、その受賞作「さっちん」を発表する14頁にわたったスタイリッシュな誌面も「太陽」的手法の実例に思えた。

同時に創刊号の谷川健一編集長による「創刊のことば」にも感動した。〈(略)卑しい心にこびる雑誌であってはいけない。スケールが大きく、意表をつき、しかも清潔な雑誌を。(略)そして豊かさと美しさだけが至上命令である雑誌を……。(略)全国の家庭の皆さん! 雑誌太陽は「きりのない百科事典」であると同時に「目で見る詞華集」でもあります(略)〉

そう宣言した「太陽」には、石元泰博や大辻清司、東松照明らの気鋭、そこに混じってロベール・ドアノーやルネ・ブリなどエスプリを極めたパリの写真家たちの映像が躍動していた。

中平さんはそうした中で競い合いたいと思っていたのだろうか。それで東松さんに話をしようと思ったのだろうか。そうだったかも知れないが、それとも別に写真以上の何かになる写真を導き出す作業に手をつけなければと思いはじめていたこともたしかだったと思う。だから「自分で作るしかないよね、あなたのようにさ」と学生が「フォト・クリティカ」を作り始めているのだからオレたちもやらなければね、と繰り返し口にした。

あの日、いつもより熱をおびて写真の話をする二人は、東松さんによって火をつけられて闘争心のかたまりになっていた。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)
(次号へつづく)
このエントリーをはてなブックマークに追加
柳本 尚規 氏の関連記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記のその他の記事
中平卓馬をめぐる 50年目の日記をもっと見る >
人生・生活 > 生き方関連記事
生き方の関連記事をもっと見る >