第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史 書評|矢羽々 崇 (現代書館)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月21日 / 新聞掲載日:2019年12月20日(第3320号)

第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史 書評
音楽を巡る多様な「カラクリ」
したたかに生き抜く知恵を与えてくれる

第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史
著 者:矢羽々 崇
出版社:現代書館
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 音楽を巡る多様な「カラクリ」。それは一見「自由」な表層の下、様々な事柄が急速に「不自由」になりつつある世界の仕掛けを読み解き、そうした仕掛けの中でしたたかに生き抜く知恵を与えてくれる。

『第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史』(矢羽々祟著、現代書館)は、タイトルの通り「第九」を切り口に、ドイツの20世紀史、特にナチス以降の戦後史とは何であったかを再検討。またそれを通じて、日本の戦後の歩みも密かに浮き彫りにされる。『平成日本の音楽の教科書』(大谷能生著、新曜社)は、明治以降の音楽の教科書の何が平成において変化し、逆に何が墨守されたかを詳らかにする。ジャズの世界で活躍する著者だからこその見方が、教科書のカラクリを軽快に解き明かした。

『指揮者は何を考えているか 解釈、テクニック、舞台裏の闘い』(ジョン・マウチェリ著、松村哲哉訳、白水社)は、指揮者の回想録や指揮法の解説ではなく、指揮者が実際の現場で何をしているのかについて、あらゆる局面から迫る。指揮者としての自身の活動を、一定の突き放した眼差しで見つめる著者の着眼点がユニークだ。

ロックの歴史について語った本はこれまでも数々あれど、『全ロック史』(西崎憲著、人文書院)はロックの歴史をすべて網羅せんとする野心的な試み。過度な神話性をロックに求めようとする姿勢に対して明確な距離を置きながら、最後に驚くべくシンプルなロックの定義に至るのは、筆者が「ロック命!」の人ではないからだろう。

『悲しい曲の何が悲しいのか 音楽美学と心の哲学』(源河亨著、慶應義塾大学出版会)は、「心の哲学」という切り口から、これまで唱えられてきた音楽美学に再考を迫る。音楽聴取の可能性に新たな視座を切り拓く野心的な試みだ。

『「湘南」の誕生 音楽とポップ・カルチャーが果たした役割』(増淵敏之著、リットーミュージック)は、「湘南」があくまでイメージにしかすぎず、またそれが音楽をはじめとする様々な営みによって形成された過程を白日の下に晒した。分野横断的な姿勢の持ち主であるがゆえに生まれた文化考。『まちあるき文化考 交叉する〈都市〉と〈物語〉』(渡辺裕著、春秋社)も、幅色い視点に立つ音楽研究者だからこそ可能となった都市のイメージ論となっている。

アウトサイダーに着目することで、未だ音楽史のミッシングリングで在り続ける対象に迫ったのが『亡命者たちの上海楽壇 租界の音楽とバレエ』(井口淳子著、音楽之友社)。戦後の日本にも大きな影響を与えたロシア系ユダヤ人興行師に焦点を当てた後半部分は、日本における西洋音楽史の再検討にも一石を投じる可能性を秘めた労作となっている。

『戦後ドイツに響くユダヤの歌 イディッシュ民謡復興』(阪井葉子著、三谷研爾編、青弓社)も、これまで唱えられてきたイディッシュ民謡の歴史に再検討のメスを入れながら、それを通じて浮かび上がる分裂から再統一までのもう一つのドイツ史。イディッシュ民謡と同様、著者の絶筆を編者が受け継いで完成させた、魂のリレー。
この記事の中でご紹介した本
第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史 /現代書館
第九 祝祭と追悼のドイツ20世紀史
著 者:矢羽々 崇
出版社:現代書館
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