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更新日:2019年12月19日

【立教大学】2019年度メディア社会学科特別公開授業 2
12/20公開・映画『テッド・バンディ』
試写会及び監督×学生クロストーク

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2019年12月5日立教大学内で、映画『テッド・バンディ』の試写会の後、ジョー・バーリンジャー監督と同大学の学生たちによるクロストークが行われた。そのトークの模様を紹介する。(編集部)

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第1回
実在するシリアルキラー、テッド・バンディ


本作品は実在するシリアルキラー、テッド・バンディを描いた劇映画で、ドキュメンタリー映画作家として知られる監督は、同じ題材を違うアプローチで撮ったドキュメンタリー作品も同時に制作している。ドキュメンタリーの方は、日本ではNetflixで観ることができる。


ジョー・バーリンジャー監督
トークはまず、司会の生井英考氏(立教大学社会学部教授)から監督への質問から始まった。テッド・バンディは、一九七〇年代に実在した連続殺人犯で、日本では現在ほとんど知られていないが、アメリカの人々にとっては、特定のイメージがあるのではないか。そのイメージを教えて欲しい、という内容だった。

バーリンジャー監督はそれに答えて、「アメリカ人の多くは当時、テッド・バンディという人物に魅了されました。それはおそらく彼が、連続殺人犯のステレオタイプを破壊しつくすような存在だったからでしょう。彼は周囲の人から非常に好かれていました。多くの友人がおり、一緒に住んでいる女性もいた。そしてその女性、リズの娘の父親代わりでもありました。そのような人物が連続殺人犯だということは、私たちに大きな恐怖を感じさせます。私たちが連続殺人犯と聞いて想像するのは、社会に適合しない人物像です。そういう存在であれば、この人はちょっと普通じゃないと、すぐに見極められるだろうと考えています。でもテッド・バンディの事件から我々が学ぶのは、恐ろしいことを行う人物が、そんなことをするとはとても考えられないような人であったり、日頃信頼を寄せている人であったりする、ということです。実際、これだけ長い間彼が逃げおおせることができたのも、周囲の人が、まさか彼が…、と思っていたからです」と話した。

つづけて生井氏は、テッド・バンディは、現代のアメリカの学生たちにとってはどういう存在か、と尋ねた。

監督は、映画を作る前に、二十歳と二十四歳の自分の娘に尋ねたが、バンディのことは知らなかった。友人にも同じ質問をしてもらったが、ほとんどの若い世代の人が、彼のことを知らなかった、と答えた。

加えて、「この作品は、リズの視点から物語が綴られていきます。僕は、こういうかたちでこの物語を伝えることに、大きな意義を感じていました。というのは、娘たちの世代にとって、学びがあると考えたからです。イケメンでチャーミングだからといって、簡単に人を信頼してはいけない、ということです。最近アメリカでは、Uberの手配車に成り済ました人物による殺人事件もありましたが、その相手が信頼されるような価値を持っていないならば、簡単に信用してはいけない。相手は信頼を勝ち得なければいけない、というメッセージを、特に娘たちや、皆さんのような大学生の方々に向けて伝えたいと思いました」と話した。

次に、立教大学大学院社会学研究科前期課程1年の小島春恵さんが、映画について感想を述べた。「この映画は一見いい人に思える人が、実は凶悪な犯罪者であり、見事に私も騙されてしまいました。殺人犯は凶悪な姿で待ち構えているのではなく、私のすぐ隣りにいる人が、ある日突然豹変するかもしれない。その恐ろしさを、監督は伝えようとしたのだろうと思っています」

それに対して監督は、「まさにそれが伝えたかったメッセージです。こうした凶悪な人物は、私たちから遠く離れた、全く別の人間だと思いたい、という気持が私たちにはあります。凶悪犯たちは自分たちと違う人間なのだから、すぐにそれと見極めることができ、避けることができる、と安心したいからです。ただバンディは、そうではなかった。悪をなす人物は、実はすぐ隣にいるかもしれない。これは非常に厳しいレッスンですが、リアルなのです」

そして、立教大学社会学部4年の中村涼乃さんは、映画製作について質問した。「一般に映画は、映画館の大きなスクリーンで上映されますが、今作は日本を例外として、Netflixでのみ上映されると聞いています。普通の映画を作る際と、意識の上で異なる点があれば教えてください」

監督は、「制作時、観客に対してどれぐらいインパクトを与えられる映像か、ということは考えますが、スクリーンのサイズについては考えません。テレビの前の3人、スマホを見ている1人、映画館の300人……どんな状況でも同じです。

また実はこの作品は、もともと劇場公開用に制作されています。サンダース映画祭で最初のプレミアが行われた頃に、Netflixが権利を買った、という経緯があります。映画の製作費を集めるために先にいくつかの地域で映画の配給権を売買しており、そのためにいくつかの国ではNetflixのリリースはなく、劇場公開されるという状況になっています」と説明した。

もう一人、同じく社会学部3年の眞知田尚樹氏は、「犯人の残虐性が詳細に描かれないからこそ、ところどころに散りばめられている狂気を、恐ろしく感じました。例えば「僕を見捨てないで」といった単なる愛情表現にも思える言葉の裏にも、台所で料理を作る包丁さばきにも、その裏に狂気が隠されているのではないか、と。裏が明らかにされていないからこそ、全ての行動にテッド・バンディの恐ろしい衝動が隠されているのではないか、と詮索するように観ました」と感想を述べた。

眞知田氏はつづけて「バンディは、映画のところどころで涙を流していましたが、あれほど頭がいいシリアルキラーであれば、自由自在に涙を流せるのではないか。監督は、バンディが何に対して涙を流していたとお考えなのか」と質問した。

「連続殺人者は非常にナルシシズムが強く、また自己中心的な存在なので、主に自分が失おうとしているものに対して泣いたのではないか、というのが僕の意見です」と監督。

「この作品の一番大きな問いは、彼はリズを愛したのか、ということではないかと思います。愛した、あるいは大切に思っていた、といえば、物議を醸すかもしれません。専門家の中には、サイコパスは愛を理解できない存在であり、純粋に人を思いやる気持ちを持つことは不可能だ、という人もいます。ある意味でそれは正しいのかもしれません。でも僕には、シンプル過ぎるようにも思えるのです。

教会の神父が幼児性愛者であった、という犯罪が、世界中で起こっています。これは信頼に対するひどい裏切りです。この神父たちはミサを行い、自分は素晴らしいことをしている、善人だと思っているかもしれません。しかし同時に、幼児性愛という犯罪行為にふけってしまう。それらは、一人の人間の中にすみ分けられて同時にあるのだと思います。誰しもが善と悪の可能性を、すみわけて持ち合わせている。バンディも、殺人衝動と同時に、日常的なものを求める気持ちがあったのではないか。この二つは共存できると、僕は考えています」
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