いざ最悪の方へ 大きな/小さな物語からも、「真実(終わり)」からも遠く離れて|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月26日 / 新聞掲載日:2019年12月20日(第3320号)

いざ最悪の方へ
大きな/小さな物語からも、「真実(終わり)」からも遠く離れて

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歴史の終焉を是認するかぎり保守以外の態度はありえないとして、幾つもの終焉宣言のなかでも大きな物語の終焉だけは左派も積極的に肯っており、場合によってはもはや口にするも恥ずかしい常識として、いま現在のおのれの言動についての弁明の辞とする。ところでフリードリヒ・ヘーゲル以来、大きな物語の終焉とは市民社会に依拠する言説だった。労働組合がその中軸となり機能するものであれ、シビル・ミニマムの観点から革新されたものであれ、または社稷的に融通無碍なものであれ、市民社会なる枠組みこそがかの終焉に根拠を与えてきた主要因だとすれば、中間団体の強化を訴える者からアナキストまで大きな物語を忌避しこれを複数の小さな物語へと解消せんとするのも宜なるかな。その小さな物語の舞台がつねに市民社会もしくはその片隅に置かれてきたわけだ。

むろん、大きな物語であるほかない正史に仕える最中のナルシシズムは、大文字の他者の純なる道具と化す主体とともに批判されなければならない。けれども近年にあっては、とりわけ左派においていまだ日本は近代国家に至っていないとの見解が自嘲的に語られることが増えたにもかかわらず、かのごとき認識が、かつてブルジョア革命の完遂を目標とし、したがって国家機構も射程に入れた権力闘争ないし封建遺制の克服を含意していた講座派史観が相対的ながらも担いえた大きな物語を駆動せしめると到底見受けられないのは、一部にしばしば確認できる冷笑的振舞いを鑑みても、みずからは終焉に至り正史を知った後に身を置くナルシシズムに拠るだろう。


これについては本欄で触れたばかりなので重複は避ける。ここで改めて指摘しておきたいのは、まさしくその正史の終焉後なる正史を保守すべく市民社会のなかへ不断に大きな物語を解消するその身振りが、やはり既に本欄で論述したクラストル的な戦争――国家及び大きな物語の出現を阻止する戦争としての小さな物語の厖大な増殖と瞬間的な消費を招いていることだ。Intraの大きな物語を阻止するPostの相互に偏向も生ずるだろう小さな物語群への固着――改革と保守――に自己正当性を求める正史後の由緒正しき市民が、正史の後のかくなる事態の責任を例えばポストモダンなる潮流へ押しつけて済むものでないことも繰り返すまでもない。

なるほど、大きな物語などと僭称したところでそも無数の小さな物語の集積や折衝を経て形成されたにすぎないとの指摘が正史の批判となりえた時期もあった。だが以前には有機的に、あるいは見えざる手に導かれ、時に大きな物語へ膨張ないし収束することもあった多様で小さな物語が、いまやポトラッチのごとき種族的凝集性を強化する際限ない蕩尽に資するのみだとすれば? このことは、恐らく市民社会を占めるべき中流なる階層に拠りながら、民主的かつ自由主義的な言説制度のもと落としどころとしての大きな物語と関係を結んでいた小さな物語がその調和を喪失したことを示している。


かくなる状況においては、度重なる疑獄の類いにもかかわらず安定した支持率を安倍政権が保持する一方で、ある世論調査で「「政治家を信頼」2割 政党、国会も低水準」(時事通信2019.11.13)との結果が出ることも矛盾でない。ひいていえばここではかつて想定されていた多様で小さな物語がその競合から発して国家及び大きな物語――幻想であれ建前であれ――に対し可塑的な反映をもたらすはずの制度が機能していないわけで、詰るところ市民社会の種々の物語が代表されていない。例えば景況感をはじめ近年それぞれに身近な片隅の物語と大きな物語との乖離は著しく、これらを擦りあわせ、または媒介する機能を欠いており、後者が胡散臭いことこのうえなく前者に縋る場合、両者は隔絶し、魑魅魍魎が正負問わずそれぞれの特権性を誇る種族をなす。そのうえなおそのみずから閉じ籠った片隅の外部に透明な代表‐表象関係を求めるなら陰謀論的なシニシズムや夜郎自大な妄想に陥ることもままあるだろう。他方で、本来特定の利害を国会内に反映すべき議会政党が脱レッテル的な言動において中立性ないし公共性を確保できるかに振舞う薄ら寒い全体主義性を発揮しておいて、なんら安倍政権に拮抗しえていないことは周知のとおりだ。

このこととかかわり、市民社会をたばねる理想を改めて掲げることが唱えられもする。けれども、「戦後」が8・15革命の後である限りで、すなわち既に「真実」を得てその正義に即して永久革命していく限りで、市民社会に拠り現状にそぐわない建前的理想も語りえてきたとして、その「真実」が疑わしい現在、かつてと同様に理想を唱えることはただ言行不一致のおためごかしたらざるを得ない。――真理への勇気を! それをも耳障りよい弱い物語へ希釈し言行不一致に甘んじずにはいられないなら、事態はますます酷くなるばかりだ。(ながはま・かずま=批評家)
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