現代ジャーナリズム辞典 書評|武田 徹(三省堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月27日 / 新聞掲載日:2019年12月20日(第3320号)

現代ジャーナリズム辞典 書評
「アカデミック・ジャーナリズム」
研究とノンフィクションを並置し、現実を立体的に編む

現代ジャーナリズム辞典
著 者:武田 徹
出版社:三省堂
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2019年のノンフィクションの傾向を象徴する言葉として、筆者は「アカデミック・ジャーナリズム」をあげたい。

アカデミック・ジャーナリズムとは由緒正しい概念ではない。筆者も共編著者を務めた『現代ジャーナリズム辞典』(三省堂)の項目に収める際にも議論があった。編集委員の一人が新造の和製英語を選ぶのはおかしいと言ったのだ。それは誤解で、英語圏でも使用例はある。だが使用者によって用法のブレがあり、十分に定着した概念とは確かに言い難い。

それでも筆者はジャーナリズムの現状を批判的に省みるうえで、その語が必要だと考えた。日本のジャーナリズムに特に顕著だが、コメントがあまりにも記事の趣旨に沿うかたちに刈り取られ、本当にそう発言していたのか疑わしく感じることが少なくない。発言者名や資料の出典が明記されず、事後的に検証もできない。もしもジャーナリズムが社会科学の一部であろうとするなら、こうした傾向は是正されるべきで、アカデミック・ライティングを意識した精確さと事後的な科学的検証に開く姿勢が要請されるはずだ。

2019年にはそんな筆者の期待に応えてくれるノンフィクションと多く出会えた印象がある。『聖なるズー』(集英社)は京大院在籍の現役研究者である濱野ちひろ氏が修論執筆のために進めていた動物性愛者(=ズー)調査を踏まえて書き下ろされたノンフィクションである。「ドイツで経験したズーたちとの日々は、論文に収まりきれない数々の問題点を私に突きつけてきた。それらは私の個人的な過去の経験に近づくようで遠いままであるような、もどかしい距離でかかわっていた。そのもどかしさをひもとくためには、自己を開示することが必要だと思われた」と著者は説明する。論文とノンフィクションで書けること、書くべきことは当然、差があるが、両者を並置すれば現実はより立体的に浮かび上がるはずだ。

こうして研究に伴走するように書かれた『聖なるズー』は、ドラマ性を求めて科学性を手放しがちだった日本のノンフィクションの弱点を克服している。情報提供者の談話は、さすが研究者の手際と感じさせる丁寧さで扱われ、語る側の事情を無視して作品の物語構造の中に配置しがちだった強引さは感じられない。一方、ノンフィクションなので感情の機微まで書き込めたことは論文にない資料価値となる。結果的にノンフィクションは研究活動を論文とは異なる角度で補完しあい、社会科学の発展に貢献することになるだろう。

アフリカ出身者が香港で築いた経済システムを描く小川さやか氏の『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社)にも同じ性格を感じる。エビデンスを揃えにくく、論文では扱いが難しい事柄も、「語られた事実」を編み上げてゆく手法が使い易いノンフィクションであればアプローチが可能なのだ。

天安門事件を経験した中国人たちを聞き取り調査した安田峰俊氏の『八九六四』(KADOKAWA)は、著者が客員研究員を務める立命館大学人文科学研究所の紀要にその一部分をオーラルヒストリーとして発表してもおかしくない価値のある内容だ。しかし安田氏はそれをノンフィクションとして出版する道を選び、2019年に大宅賞を受賞したことも加わって、専門研究者に限られない読者に多く恵まれた。広く読まれるべき内容を備えた研究成果であればジャーナリズムの回路を用いて発表することをアカデミシャンは恐れるべきではない。アカデミック・ジャーナリズムはジャーナリズムの欠点を補うだけでなく、アカデミズムの閉鎖性を乗り越える可能性も持つ。

他にも理論経済学者・宇沢弘文の評伝である佐々木実氏の『資本主義と闘った男』(講談社)、平山周吉『江藤淳は甦える』(新潮社)、岸俊光『核武装と知識人』(勁草書房)、志垣民郎『内閣調査室秘録』(岸俊光編、文春新書)のように学術研究として通用する精度を維持しつつ、調査対象を広く歴史、社会的に位置づけてアカデミズムとジャーナリズムを架橋している印象を感じさせる作品が多かった。

こうした傾向がもたらされた背景には、ひとつに出版市場の逆境の影響があったのかもしれない。大向うに見得を切らなければならないという呪縛から書き手や出版社が逃れた結果、感度の高い読者に確実に届き、高く評価される質の高いノンフィクションが生み出される傾向が導かれたとすれば災い転じてなんとやらである。こうした傾向は研究者もノンフィクションに挑戦し易い状況を導いた。研究の園でも自由は消失しつつあるが、それでも研究費と研究に使える時間がまだ多少は残されている大学研究者は、専業で従事すると取材費の捻出や生計の維持が困難になってきているノンフィクションの新しい担い手となってゆくだろう。

つまり冬の時代となって逆に良質のノンフィクションが書かれる可能性が開かれている。アカデミック・ジャーナリズム指向は突破口を探るひとつの試みとなるだろうが、他の手法でも構わない。「冬来たりなば春遠からじ」の言葉を忘れずに書き手と出版社が諦めることなく、逆境をむしろバネとして優れたノンフィクションを発表し続けてくれることを来年以後にも期待したい。(たけだ・とおる=ジャーナリスト・評論家)
この記事の中でご紹介した本
現代ジャーナリズム辞典/三省堂
現代ジャーナリズム辞典
著 者:武田 徹
出版社:三省堂
「現代ジャーナリズム辞典」は以下からご購入できます
「現代ジャーナリズム辞典」出版社のホームページはこちら
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