新興俳句アンソロジー 書評|(ふらんす堂)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2019年12月27日 / 新聞掲載日:2019年12月20日(第3320号)

新興俳句アンソロジー 書評
俳句の普遍性(不易)の予感は?
鴇田智哉「俳句の不謹慎さ、そして主体感」ほか

新興俳句アンソロジー
編 集:現代俳句協会青年部
出版社:ふらんす堂
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本年前半は俳壇でも改元が話題になった。総合誌だけでも、『俳句』『俳句界』『俳壇』の各五月号が平成俳句の特集を組んだ。
新興俳句アンソロジー()ふらんす堂
新興俳句アンソロジー

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一方でまた、昨年末刊行の現代俳句協会青年部編『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂)の余波であろうか、『俳句』『俳句四季』の各八月号が新興俳句に関する特集を組んだ。

これらは俳句史的なパースペクティヴを鑑みれば必然性のある特集と言えなくもない。けれどその眺望のもと、俳句の未来への予兆のようなもの(不易)が感ぜられたか、というと首肯できる内容のものは少なかったように思う。過去を過去のためにふり返ってもトレンドの域(流行)を出ないであろう。

そんななか評者が注目したのは鴇田智哉氏の「俳句の不謹慎さ、そして主体感」という散文である。これは前述の『俳句』五月号の特集「さらば平成」巻頭随想として書かれたものだ。タイトルにもあるように、鴇田氏は「主体感」という造語による新概念を提唱。〈よく使われる「作中主体」というものともちょっと違う、俳句の一句一句にその都度オリジナルにたち現れる「おばけ」のようなもの〉と自解している。そして〈古今のあらゆる句には、その句特有の主体感〉がある、と普遍化を庶幾しているだけではない。〈主体感を感じとる感性を育て、それを言語化して語ることは、これから俳句を読み、また作るうえでの鍵になるという予感が、私にはある〉と展望を語ってもいるのである。

無論、この段階ではまだ抽象の域をでないが、『俳壇』十一月号のインタビュー「私のメイン・テーマ」では具体性をおびていく。例えば田中裕明〈穴惑ばらの刺繍を身につけて〉の上五と中七以下の取合せを提示し、それをなさしめている「眼差し」を主体感としてとらえ返す。作者でも作中主体でもない「眼差し」そのものに、俳句の普遍性を予感しているのである。

以下、管見の俳書――齋藤愼爾『逸脱する批評』(コールサック社)、髙柳克弘『蕉門の一句』(ふらんす堂)、高山れおな『切字と切れ』(邑書林)、中村健一・武馬久仁裕『目からうろこの俳句の授業』(黎明書房)、川本皓嗣『俳諧の詩学』(岩波書店)、石川九楊『河東碧梧桐』(文藝春秋)、今泉康弘『人それを俳句と呼ぶ』(沖積舎)、川島由紀子『阿波野青畝への旅』(創風社出版)。

以下、管見の句集――〈ルンバはたらく地球は冬で昼の雨〉高山れおな(『冬の旅、夏の夢』朔出版)、〈うしろから手が出て椿落ちにけり〉柿本多映(『柿本多映俳句集成』深夜叢書社)、〈中世の秋やひとりのけものみち〉藤原月彦(『藤原月彦全句集』六花書林)、〈大いなる霜の左が現るる〉生駒大祐(『水界園丁』港の人)、〈サンドウィッチの匂ひのなかの蜃気楼〉中嶋憲武(『祝日たちのために』港の人)、〈牛の眼の空ろに潤む雪蛍〉鈴木牛後(『にれかめる』KADOKAWA)、〈秩父の猪よ星影と冬を眠れ〉金子兜太(『百年』朔出版)、〈くちなはのやうに棲みつき風邪の神〉松林尚志(『山法師』ふらんす堂)、〈冬空に割られし楢の白さかな〉衞藤能子(『水の惑星』ウエップ)、〈雪道を撮れば逢ひたくなつてをり〉松本てふこ(『汗の果実』邑書林)、〈てのひらを揺れたたせたる泉かな〉藤田哲史(『楡の茂る頃とその前後』左右社)。またアンソロジーとして林桂編著『多行形式百句』(鬣の会)。(あさぬま・はく=俳人・連句人)
この記事の中でご紹介した本
新興俳句アンソロジー/ふらんす堂
新興俳句アンソロジー
編 集:現代俳句協会青年部
出版社:ふらんす堂
「新興俳句アンソロジー」は以下からご購入できます
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