モンテーニュ 人生を旅するための7章 / 4280(岩波書店)『エセー』の魅力をコンパクトに伝える  さまざまな一節を次々紹介する、古典のDJとして|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月3日 / 新聞掲載日:2020年1月3日(第3321号)

『エセー』の魅力をコンパクトに伝える
さまざまな一節を次々紹介する、古典のDJとして

モンテーニュ 人生を旅するための7章
著 者:宮下 志朗
出版社:岩波書店
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 モンテーニュの『エセー』はいつ読んでも面白い。たとえば「人間の精神は、老いとともに、便秘をもよおして鈍くなる」と率直に述べて、「亀の甲より年の功」などというパターン思考に釘を刺す。あれやこれやと考えさせてくれる優れた古典なのだけど、なにしろ長いのだ。長短合わせて全部で一〇七章、白水社版の拙訳だと全七巻、二千ページを優に超える。大長編といっても章に分かれているのだからと、どこかに取りついてみる。ところが相手はくせ者、各章のタイトルに掲げた主題をストレートに出したりしない。ぼやっと読んでいると、そのまま終わってしまったりする。脱線・寄り道(らしきもの)が多いのだ。もっとも、ご本人はそれを自覚していて、自分の話は「遠く離れて続いているのです」とうそぶくから始末に悪い。

こうした理由からか、古典として読み継がれてきたとはいいながら、実際は途中で挫折する人が圧倒的に多いらしい。『エセー』は「エッセイ(随筆)」の元祖なのだからして、面白そうなところから好き勝手に断片的に読めばいいのだ。ところが日本人は律儀、最初の巻から買って順番に読もうと努力して、こりゃダメだと放り出す。長大な古典の宿命で、拙訳も後ろにいくほど売れ行きが悪い。本当は、後ろの巻のほうがモンテーニュらしさが発揮されていて面白いのに! そこで、拙訳を出すときにも、『エセー』第三巻(拙訳の6と7)から刊行したらという画期的なアイデアを出したけれど、ただちに却下された。まあ、仕方がないことですが。

好きな順番に読んでくださいだけでは身も蓋もないから、ここはやはり『エセー』の魅力をコンパクトに伝える本が欠かせないと思って、書いたのが『モンテーニュ 人生を旅するための7章』(岩波新書)である。序章で生涯と作品を見渡したあとで、「わたしはわたし」「古典との対話」「文明と野蛮」「人生を愛し、人生を耕す」等、七つのゆるいテーマを設定して、かなり自在に語っている。

たとえば「わたしはわたし」の章では、冒頭に「人間はだれでも、人間としての存在の完全なかたちを備えている」という感動的な文章を含む、「後悔について」の一節を掲げて、『エセー』からの印象的な引用をまじえつつ、モンテーニュの人生哲学を紹介してみた。わたしの役目は、『エセー』のさまざまな一節を次々と紹介していく、いわば古典のDJみたいなものというスタンスで書いた。『エセー』そのものの魅力にふれてもらうのが肝心なのだから。

章と章のあいだには「コラム」を設けて、ラ・ボエシーとの友情のかたちを「喪の儀式」に見立て、あるいは、『エセー』底本をめぐる「一五九五年版」と「ボルドー本」の争いを紹介した。南仏の「モンテーニュの塔」訪問記も入れてある。なお、同じ時期に、拙訳を活用したエッセンス本も編集されている(久保田剛史編『モンテーニュの言葉』白水社)。この二冊をてがかりに、『エセー』に親しむ読者が増えるならば、とてもうれしい。(みやした・しろう=放送大学・東京大学名誉教授・ルネサンス文学・書物の文化史)(二五〇頁・八四〇円・岩波書店)
この記事の中でご紹介した本
モンテーニュ 人生を旅するための7章/岩波書店
モンテーニュ 人生を旅するための7章
著 者:宮下 志朗
出版社:岩波書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「モンテーニュ 人生を旅するための7章」出版社のホームページはこちら
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