書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎 書評|ジョルジョ・アガンベン(月曜社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 学問・人文
  5. 哲学・思想
  6. 西洋思想
  7. 書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎の書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月28日 / 新聞掲載日:2020年1月3日(第3321号)

書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎 書評
独特かつ魅力的な自伝
多種多様な知的交流を回想しつつ、みずからの生涯を綴る

書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎
著 者:ジョルジョ・アガンベン
翻訳者:岡田 温司
出版社:月曜社
このエントリーをはてなブックマークに追加
 本書は、現代イタリアの思想家アガンベンによる独特な形式の自伝である。これまで転々としてきたいくつかの書斎の風景をもとにして、所蔵している書籍や絵画、個人的な写真などとともに、アガンベンは多種多様な知的交流を回想しつつ、みずからの生涯を綴っていく。ハイデガーやベンヤミン、ヴェイユといった哲学者、カルヴィーノやモランテといった文学者をはじめとして、詩人や音楽家、映像作家らが次々と登場する。書斎の写真に端を発するとはいえ、アガンベンの回想はヨーロッパ中を駆け巡り、ローマやパリ、ヴェネツィア、ウィーン、フィレンツェなどが記憶の舞台となる。

複数の書斎を自伝が生成する場として選んでいる点で本書は独特かつ魅力的である。「詩的な実践との関係を保つ生の形式は、何であれ、つねに書斎のなかに、つねにその書斎のなかにあるものだ」(二七頁)。アガンベンはローマやヴェネツィア、パリなどの書斎で仕事をしてきたが、これら複数の書斎は「実際には、ただひとつの書斎が時間と空間のなかに撒き散らされたもの」(一四九頁)だと言う。書斎とは、知的養分を吸収し、何かを書き表すための潜勢力がみなぎる場である。とりわけ、アイデアや引用が思いつくままに書き留められた「ノートこそがわたしの書斎である」(九九頁)。書棚の一角を占めているノートは三〇冊にも及ぶそうだが、それらは完成された本へと収斂するのではなく、さまざまな可能性に開かれた未完成な状態を保っているのだ。

冒頭に記されるハイデガーの回想は一九六六年のル・トールでのゼミナールに関するものである。アガンベンは南仏プロヴァンスの陽光の下で、連日この老哲学者と議論し、夕暮れ時に散歩をし、広場でペタンクに興じる地元民を観察した。このとき、アガンベンがハイデガーにハナ・アレントの連絡先を聞いて、暴力に関する論文を送ったエピソードは興味深い。

ローマのコッペッレ広場にあった最初の書斎は、シモーヌ・ヴェイユの思い出と共に語られる。ヴェイユに関する神秘的な解釈を慎重に退け、アガンベンは人格と権利の観念に対する批判に感嘆したと語る。法と人格の関連によって近代的個人が形成されるという論点は、アガンベンによる一連の論考「ホモ・サケル」の通奏低音となっている。

一九八〇年代末に親交を結んだギー・ドゥボールとは政治的な見解で意気投合し、アガンベンは「私的な生の内秘性」を彼から学び、重要な政治的要素として問い始めたという。後にアガンベンはビオス(社会的な生)とゾーエー(動物的な生)の区別にもとづいて生権力論を展開するが、ゾーエーの着想源のひとつはドゥボールにある。

アルフレッド・ジャリの絵葉書から、哲学と詩作の根本的な関係が指摘される。ジャリは形而上学を超えてその先へと広がっている宇宙を「形而超学(パタフィジック)」と名づけた。その試みにならって、詩的方法の創造的な模索こそが、哲学の営みに必須であるとアガンベンはみずからの知的原理を示す。ジョルジュ・バクスアーリの写真による回想からは、文献学の精髄が語られる。それは、テクストの原型を復元することではなく、伝統と歴史を通じて変型してきたテクストの姿を現在において見極めることである。「オリジナルな原本の真理は、過去にではなくて現在にその場を占めている」(一四六頁)。

もっとも思い入れを込めて語られるのはベンヤミンのことである。アガンベンにとって、ベンヤミンは実際の面識はなくとも「いちばん頻繁に対面したと思える師」(一二二頁)で、すべての書斎で重要な位置を占めてきた。かつての書斎のすぐ近くに、ベンヤミンの友人ブルーメンタールが住んでいたというエピソードは劇的である。ブルーメンタールはベンヤミンが敬愛した夭逝の詩人フリッツ・ハインレの手書き原稿を所蔵していたからだ。刊行されないまま忘れ去られたいという詩人の意志を原稿に感じ取ったアガンベンは、「本当の意味で忘れることができないのは、〔…〕とりわけ忘れられているかぎりにおいて、思い出されることが求められるものである」(一二七頁)と記している。いかなる記憶よりも深い、この忘れられえないものをめぐる身振りは、本書を貫いている生の形式のひとつである。

本書の試みに関して、アガンベンは「語の字義通りの意味で、わたしはエピゴーネンである」(六三頁)と確言する。それは、「その現実を完全には把握できないような、決定的な出来事や出会い」(三一頁)から自己が成り立っていることを認め、そうした依存関係を書き記す態度である。人生を通じて、数々の出会いと読書、さまざまな場が「私たちを養う」、つまり、「何かがおのずと向かおうとする状態に達するままにさせておく」(四九頁)。この滋養のイメージは、ジリオ通りの書斎に置かれていたティツィアーノの《ニンフと羊飼い》に連なっていく。右の乳房から滴る乳を自分の唇に向けている女性の姿が表現しているのは、自分自身を養う身振り、つまり、プラトンが『第七書簡』で述べる「魂の自己滋養」である。生き物は食物を栄養として摂取し吸収するが、他方で、生き物自身もこの食物に同化される閾があるとアガンベンは信じている。内と外の不分明な閾においてこそ、自分自身を養うことが可能となるのだ。

訳者が指摘しているように、アガンベンにとって重要な思想家ドゥルーズ、フーコー、デリダの名前が、不思議なことに本書には見当たらない。この巨大な欠落はかえって読者の好奇心を誘うほどである。「わたしはこれまで、弟子を持とうと望んだことはないし、またそうできたためしもない。ただ友人たちがいるだけだ」(七七頁)とアガンベンは言う。権威的な口調で発せられた真理にはどこか倫理が欠けており、誰も耳を傾けない者こそが真理を告げうるからである。アガンベンはハイデガーにも師匠風の態度を感じず、彼を友の範疇に加えているようだ。書き記されなかったドゥルーズらはこうした友の基準に当てはまらないのだろうか、それとも、友/師の尺度とは別の存在なのだろうか。

本書の終盤でアガンベンは、書斎の棚に止めてあった、放尿する少女の写真に言及する。放尿は、アリストテレスによって植物的な生の機能とされたが、アガンベンは西洋の伝統における植物的な生と知的な生の分離を認めない。決然と記されるのは、「放尿も思考とまったく同等である」(一八〇頁)という文言である。この植物の主題は最終部に引き継がれ、「草、草は神である。草—神—のうちに、わたしが愛してきたすべての人はいる」(二〇八頁)という印象的な光景に彼自身の「生の内秘性」が重ね合わせられて、自伝は締め括られる。

本書の翻訳はアガンベンの思想に通暁した岡田温司氏によるもので、丁寧な訳注とともに、大変読みやすい文章に仕上がっている。版権の都合でいくつかの図版が収録されなかった点は残念だが、しかし、新たな形式の自伝が日本の読者に送り届けられたことを喜びたい。
この記事の中でご紹介した本
書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎/月曜社
書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎
著 者:ジョルジョ・アガンベン
翻訳者:岡田 温司
出版社:月曜社
「書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎」は以下からご購入できます
「書斎の自画像 根本的に未完成なものとしての書斎」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
西山 雄二 氏の関連記事
ジョルジョ・アガンベン
ジョルジョ・アガンベン(じょるじゅあがんべん)イタリアの哲学者。
(Giorgio AGAMBEN) 1942年ローマ生まれ。イタリアの哲学者。著書に、1970年『中味のない人間』(人文書院、2002年)、1977年『スタンツェ』(ありな書房、1998年;ちくま学芸文庫、2008年)、1979年『幼児期と歴史』(岩波書店、2007年)、1982年『言語と死』(筑摩書房、2009年)、1990年/2001年『到来する共同体』(月曜社、2012年/2015年)、1993年『バートルビー』(月曜社、2005年)、1995年『ホモ・サケル』( 以文社、2003年)、1996年『人権の彼方に』(以文社、2000年)、1996年/2010年『イタリア的カテゴリー』(みすず書房、2010年)、1998年『アウシュヴィッツの残りのもの』(月曜社、2001年)、2000年『残りの時』(岩波書店、2005年)、2002年『開かれ』(人文書院、2004年;平凡社ライブラリー、2011年)、2003年『例外状態』(未來社、2007年)、2005年『瀆神』(月曜社、2005年/2014年)、2005年『思考の潜勢力』(月曜社、2009年)、2007年『ニンファ その他のイメージ論』(慶應義塾大学出版会、2015年)、2007年/2009年『王国と栄光』(青土社、2010年)、2008年『事物のしるし』(筑摩書房、2011年)、2009年『裸性』(平凡社、2012年)、2011年『いと高き貧しさ』(みすず書房、2014年)、2012年『オプス・デイ』(以文社、2019年)、2014年『身体の使用』(みすず書房、2016年)、2015年『スタシス』(青土社、2016年)、2016年『哲学とはなにか』(みすず書房、2017年)、2016年『実在とは何か』(講談社選書メチエ、2018年)などがある。
ジョルジョ・アガンベン 氏の関連記事
岡田 温司 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
学問・人文 > 哲学・思想 > 西洋思想関連記事
西洋思想の関連記事をもっと見る >