岸辺のない海 石原吉郎ノート 書評|郷原 宏(未来社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
マイページで記事のブックマーク!
ログイン
マイページ登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは マイページ

  1. 読書人トップ
  2. 書評
  3. 読書人紙面掲載 書評
  4. 文学
  5. 日本文学
  6. 岸辺のない海 石原吉郎ノートの書評
読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月28日 / 新聞掲載日:2020年1月3日(第3321号)

岸辺のない海 石原吉郎ノート 書評
両極の石原像の存在
優れた石原論者による新たな石原吉郎論

岸辺のない海 石原吉郎ノート
著 者:郷原 宏
出版社:未来社
このエントリーをはてなブックマークに追加
 詩人・石原吉郎について熱く語られた時代があった。石原が一連のシベリア・エッセイを執筆した一九七〇年前後がとくにそうだっただろう。その後、石原の詩も評論もやや後景に退くような印象もあったが、とくにシベリア抑留との関連で石原については粘り強く論じられてきた。石原の生誕百年に相当した二〇一五年には、私自身、石原吉郎論を刊行した。そしていま、新たな石原吉郎論が私たちのもとに届けられた。

著者の郷原宏は一九四二年生まれ。優れた詩人として若いときから石原について論じてきたひとりである。私自身、その石原論から多くを学んできた。とりわけ、石原のデビュー作「夜の招待」についての著者の鮮やかな批評に、私は文字どおり目が覚めるような感覚を味わったのだった。

さらに、私たちが忘れてならないのは、著者の郷原が詩集『カナンまで』でH氏賞を受賞した際、選考委員として石原がこう記していたことである。「郷原宏氏の詩集『カナンまで』が本年度のH氏賞に決定したことを、近ごろさわやかな出来事として私は受けとった」(『石原吉郎全集』第Ⅲ巻、花神社、一九八〇年、四八九頁)。

この石原の言葉は、本書の「あとがき」にも引用されているのだが、こういう関係からしても、著者にとって石原吉郎は深い敬愛をもって論ずべき対象なのである。さらには、私のように生前の石原と直接の面識もないまま、残された作品をつうじてしか石原にふれることのできない者とは異なる感覚が、著者のうちには脈々と生きているに違いない。そういう著者によるまとまった一冊の石原論――。

私のその期待は、本書をつうじて半分は満たされたが、半分は満たされなかった。

満たされた部分は、やはり著者が石原の生きていた時代を、後続世代としてではあれ、共有している感覚が強くうかがわれることである。たとえば著者が、石原の初期の詩を、日本の戦後詩が「「主題」の時代から「音楽」の時代へと足を踏み入れていた」その時期に書かれたものとして捉えなおしているところなど、やはり同時代感覚抜きには説得力をもって語ることはできないだろうと思われる。また、代表作「葬式列車」を、私の理解とは異なって、あくまでシベリア体験を描いたものと読もうとする解釈にも、同時代における受容のありかたとして、教えられるものがある(ただし、私自身の解釈は変わらないが)。

満たされなかった部分は、石原との直接的な交流について、本書ではほとんどふれられていないことである。「あとがき」には、著者がまだ若いときに、著者の属していた詩誌『長帽子』と石原の属していた『新詩篇』の合併号が出された際の、両誌の合同合評会のことが記されたりしているのだが、そういった場面での石原の姿が本文では展開されていない。これは、私のようなさらなる後続世代にとっては、きわめて残念なことである。

私たちのような世代からすると、伝説化された石原像と、半ばスキャンダル化された石原像が両極として存在している。生身の石原吉郎は、その両極のあいだで、もっとあたりまえの姿で存在していたに違いないと思えるのだが、それをあえて前面に出して語ることは、著者にとってすら困難なことがらだったのだろうか。
この記事の中でご紹介した本
岸辺のない海 石原吉郎ノート/未来社
岸辺のない海 石原吉郎ノート
著 者:郷原 宏
出版社:未来社
以下のオンライン書店でご購入できます
「岸辺のない海 石原吉郎ノート」出版社のホームページはこちら
このエントリーをはてなブックマークに追加
細見和之 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
文学 > 日本文学関連記事
日本文学の関連記事をもっと見る >