アリストテレス 生物学の創造 上 書評|アルマン・マリー・ルロワ(みすず書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2019年12月28日 / 新聞掲載日:2020年1月3日(第3321号)

アリストテレス 生物学の創造 上 書評
進化生物学からアリストテレス生物学を語る

アリストテレス 生物学の創造 上
著 者:アルマン・マリー・ルロワ
翻訳者:森 夏樹
出版社:みすず書房
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 ウニの口のことを「アリストテレスの提灯」と呼ぶ。このことを評者は中学生の時に生物の授業で学んだように記憶しているが、この通称はアリストテレスの『動物誌』第4巻でウニの口がランタンと表現されていることに由来する。しかし、この表現がアリストテレスに起源を持つことには実は疑念が提起されている。「口」に該当するギリシア語はstomaであるが、該当箇所をsōma、つまり「身体」と伝える写本もあり、最近発掘された古代のランタンは、ウニの口というよりも、ウニの身体の形状に似ていたからである。

アリストテレスの哲学の基盤は生物学にあると言われることがある。しかし、その基盤であるはずの『動物誌』をはじめとした動物学関連著作を読み解くことは容易ではない。描かれた動物がどの動物か、描かれている器官は何かを把握するだけでも文献学的素養と生物学的教養の両方を最低限必要とする。また、明らかに誤った事実認識や、四元素説をはじめとしたカビの生えたアリストテレスの科学理論に、辛抱強く付き合っていく忍耐力も必要である。

本書はそのようなアリストテレスの生物学を、上記の「提灯」のような逸話を交えながら、進化生物学の立場から語る良著である。とは言え、本書のトピックは狭い意味での生物学に集中してはいない。生物学がアリストテレス哲学の基盤であるならば、逆説的にその生物学は彼の哲学体系に必然的に位置を持つ。その限りで、アリストテレスの生物学を語るには、どうしても彼の説明理論や形而上学的言説にも言及しなければならない。しかし、アリストテレスに限らず、過去の哲学者や科学者は、しばしば曲解されたり、過度に単純化されたりして、誤ってはいるが広く流布している理解に基づいて評価されがちである。それに対し、本書は目的論的説明に関しても、質料形相論に関しても、近年のアリストテレス研究を押さえた上で、可能な限り中立的な観点から彼の生物学を読み解こうとする。

もちろん、アリストテレスの生物に関する事実認識は誤っていたり、重要な点を見落としていたりすることがある。脳は知性を司る器官ではなく、血液を冷やす器官と見なしたことはその一例だろう。このような誤解を非難し、さらに彼がよって立つ科学的説明の基礎理論の誤りを断罪することは容易である。しかし、本書の着眼点は、アリストテレスの生物学の方法、ひいては科学の方法であり、観察事実、事実認識、基礎理論の関係を彼がどのように構築したかにある。

方法という観点から大局的に見たならば、アリストテレスが『分析論後書』でその大枠を描き、その他の著作で実践した科学的手法は今日でも失われていない。たとえば、アリストテレスは生物を論ずる際にも、政治思想を論じる際にも、パイノメナ、すなわち観察事実(および人々の見解)を収集することから始める。この作法は、本書が論じる様に、ビッグ・データを基礎としたデータサイエンスの方法と方向性は同一である。また、ダーウィン的進化論を今日の生物学の基礎理念とする限り、生物種を永遠的なものと見なすアリストテレスは生物学者としての資格を喪失するかもしれない。しかし、本書はアリストテレスとダーウィン、そしてわれわれが、生物の遺伝についての理解を共有していることを指摘する。たとえば、生物の多様性の根拠を生物が生息する環境の多様性に求めることは不可解なことではないだろう。そうであるならば、アリストテレスの生物学的業績は確実にわれわれの生物理解の一部となっており、それをすべて過去の遺物として捨て去ってしまうことはあまりに惜しい。

以上の紹介は、本書の持つ魅力のごく一部に過ぎない。だが、少なくとも哲学を志す者にも、生物学や科学を志す者にも、本書から多くを得ることができるのは確実である。著者の生物、科学、そしてアリストテレスへの敬意と愛情に敬服しつつ、日本のギリシア哲学研究者として、本書が日本語で読めることにも謝意を表したい。
この記事の中でご紹介した本
アリストテレス 生物学の創造 上/みすず書房
アリストテレス 生物学の創造 上
著 者:アルマン・マリー・ルロワ
翻訳者:森 夏樹
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
アリストテレス 生物学の創造 下/みすず書房
アリストテレス 生物学の創造 下
著 者:アルマン・マリー・ルロワ
翻訳者:森 夏樹
出版社:みすず書房
以下のオンライン書店でご購入できます
「アリストテレス 生物学の創造 下」出版社のホームページはこちら
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アルマン・マリー・ルロワ
アルマン・マリー・ルロワ()インペリアル・カレッジ・ロンドン進化発生生物学教授。
Armand Marie Leroi インペリアル・カレッジ・ロンドン、進化発生生物学教授。1964年、ニュージーランド、ウェリントン生まれ。国籍はオランダ。ニュージーランド、南アフリカ、カナダで幼少年期を過ごす。 ダルハウジー大学(ハリファックス、カナダ)で学士号を取得後、カリフォルニア大学アーバイン校(アメリカ)で博士号を取得。マイケル・ローズ博士のもとでショウジョウバエを対象に老化の進化生物学研究に携わる。ついでアルバート・アインシュタイン医科大学のスコット・エモンズ博士のもとでポストドクトラル・フェローを勤め、線虫の成長の研究を始める。1996年からインペリアル・カレッジ・ロンドンで講師、2001年から進化発生生物学部門リーダーを務める。初の著書MUTANTS: On Genetics Variety and the Human Body (Viking Penguin, 2003)(邦訳は上野直人監修・築地誠子訳『ヒトの変異──人体の遺伝的多様性について』、2006、みすず書房)により、Guardian First Book Awardを受賞。本作により、London Hellenic Prize 2015およびRunciman Prize 2015を受賞。イギリスではBBCチャンネル4、ディスカヴァリー・チャンネル、ナショナル・ジオグラフィックなどのテレビ番組で放送作家兼ナビゲーターも務め、科学コミュニケーターとしてもよく知られている。
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