宮沢賢治 デクノボーの叡知 書評|今福 龍太(新潮社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年1月11日 / 新聞掲載日:2020年1月10日(第3322号)

宮沢賢治 デクノボーの叡知 書評
「愚者たちの希望」
多数の作家・思想家の事績と賢治との間に回路を通す

宮沢賢治 デクノボーの叡知
著 者:今福 龍太
出版社:新潮社
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 自然・地球・宇宙にみなぎるあらゆる存在者との交感と交歓。賢治の文芸世界をその観点からとらえる試みは、これまでにも広く行われてきた。その中にあって本書は、従来の見方を基礎としつつ、はるかに水準を飛躍させ、この方面の見方を極限にまで徹底した集大成とも言うべき追究である。本書で著者は次のように述べる。「すでにみてきたように、身体的なミメーシスは森羅万象と自己とのあいだに、呪術的・霊的な照応=交感の関係を打ち立てることによって達成されます。そして、感性的・身体的な模倣のくりかえしの蓄積によって成立した人類文化の最終的な創造物こそが、私たちの『言語』なのです」。本書はこの原理を全面的に展開したところに現れたものである。

そこで本書は主に前半部において、火山礫(「グスコーブドリの伝記」「気のいい火山弾」)、海(「銀河鉄道の夜」「薤露青」)、動物(「なめとこ山の熊」「よだかの星」)、風(「鹿踊りのはじまり」「サガレンと八月」)、みかげ石(「永訣の朝」「孤独と風童」「山火」)など、特に自然物と人との間の交流現象を執拗に追跡する。どれも読み応えのあるこれらの章のうち、特に、これは、と思わせるのは、「天と内臓をむすぶもの 〈石〉について」と題された第Ⅳ章である。少年時から「石コ賢さん」と呼ばれ、盛岡高等農林で土壌学を専攻し、稗貫郡の土性調査に従事した賢治は、著者によれば「特異な地質学・岩石学的想像力」の持ち主であった。詩「孤独と風童」に「白いみかげの胃」とあるように、不思議なことに賢治においては石と内臓の並置が認められ、しかも「胃」は中国名で星の一つを指す。従って石は単なる石ではなく、天と内臓、外宇宙と内宇宙を結ぶ結節点としてとらえられ、ここからさらに次々と作品とイメージが繋がれていく。さらに本章の首尾には、『苦海浄土』を書いた石牟礼道子もまた石に深い眼差しを注いでいたことに触れられ、この想像力に系列が見出される。石牟礼のみならず、フォークナー(「熊」)、井上有一(「鷹」の書家)、モリス(ユートピア)ら、内外にわたる多数の作家・思想家の事績と賢治との間に回路を通すのも本書の大きな魅力である。

また後半部では、「デクノボー」「心象スケッチ」などの賢治独特の概念、北への志向や創造原理としての未完、さらにユートピアや死など、賢治作品を彩る数々の問題を、物質的想像力のイメージ系列において自在に絡め取る。中でも本書の中核となる「愚者たちの希望 〈デクノボー〉について」と題する第V章では、「虔十公園林」や「雨ニモマケズ」その他、賢治作品の「デクノボー」表現と、ベンヤミンの「せむしの小人」や、カフカ「街道の子どもたち」などに共通する「インファンティア」(語りえぬ人間)としての性質を認め、そのような「『愚者たちの希望』こそが真の希望です」とまとめる。つまり「デクノボーの叡知」とは、言語以前の、現実の彼方にひそむ淡い希望である。一見、極めて饒舌のように見える賢治作品や、あるいは本書そのものの根元に、愚かであることのユートピアとしての語りえぬ生地があることの指摘は、評者が本書で最も気になった箇所である。

物質と言葉、場所と宗教、さらに科学から植民地まで、〝気海〟に存在するあらゆる事象を縦断する本書の論述を基に、今一度賢治のテクストの発話の瞬間に立ち戻ってみたいという思いを強くした。
この記事の中でご紹介した本
宮沢賢治 デクノボーの叡知/新潮社
宮沢賢治 デクノボーの叡知
著 者:今福 龍太
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
「宮沢賢治 デクノボーの叡知」出版社のホームページはこちら
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