横尾忠則さんへの手紙 書評|酒井 忠康 (光村図書出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月11日 / 新聞掲載日:2020年1月10日(第3322号)

横尾忠則さんへの手紙 書評
酒場で隣り合った紳士から、横尾さんの物語の断片をお聞きするような一冊

横尾忠則さんへの手紙
著 者:酒井 忠康
出版社:光村図書出版
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「いつかちゃんと向き合おうと思いながら、どこから手をつけたらいいのかわからない案件」というのがある。たとえば夏目漱石。たとえば黒澤明。たとえば浦沢直樹。いずれもほんの少しかじって、これは時間をかけて向き合うべきだと悟り、あぁそれなのに「いつか棚」に並べたまま人生はどんどん過ぎていく。巨人すぎて軽い気持ちで近づくのが憚られる、という言い訳とともに。ええと、恥ずかしながら、横尾忠則もわたしの中では「いつか棚」の人だった。Y字路を通るたびに絵を思い出すのに、新聞に掲載される書評を楽しみにしているのに、横尾忠則美術館に行ったことも小説を読んだこともないまま今にいたる。面目ない……。

さて、そんなわたしがひとり酒場のカウンターで飲んでいたら、隣の席に上品な紳士がやってきた。知的な口調に惹かれて話を聞いてみると美術館の館長さんだという。横尾忠則さんに関する話題が豊富で、しかもすべてのエピソードが生き生きしていて、飽きることがない。……と、これは本書との出会いのイメージである(実際は著者の酒井忠康さんにお目にかかったことはありません)。

本書は展覧会の図録に寄せた挨拶文、手紙形式のエッセイ、公開対談の文字起こしなどで構成される。といって横尾忠則の八十余年を総括する評伝でも、横尾作品を解説する専門書でもない。帯には「11篇のエール」とある。そう、まるで酒場で隣り合った人から、横尾さんの物語の断片をお聞きするような一冊なのだ。酒井さんと横尾さんのお付き合いは三〇年に及ぶ。仕事を兼ねた旅をともにする機会もあれば、酒井さんが館長を務める世田谷美術館に横尾さんがひょっこり顔を見せることも珍しくないらしい。親しさをにじませつつも節度を持って語られる横尾さんにまつわるあれこれが、横尾忠則初心者のわたしにグワングワンと響いた。

横尾さんは、理解者である著者に創作の秘密を打ち明ける。

小説は時間の流れを追う形でしか表現できないが、絵画は過去、現在、未来を一枚の絵に納めることができる。ある作品に出てきていなくなった登場人物が、全く別の作品にひょこっと顔を出す、その奇想の発想が面白い。ルネサンス以降の絵画では消失点はまんなかにひとつだが、Y字路は消失点がふたつあることに興味を持った。などなど。気になるフレーズに付箋を貼っていくと、本がビラビラになった。話題に上がった絵が、美しい印刷で収録されているのもうれしい。横尾作品にはいくつもの謎が仕込まれているが、その謎を解く鍵を本人が吐露している箇所も刺激的で、わたしは何度も叫んだ。「えっ! この絵の中にニーチェが隠れていたのか!」

文中にさまざまな人物が登場するのも、興を添える。三島由紀夫を前にした澁澤龍彥がお茶目だった件。横尾さんが描いた松本清張の肖像画を梅原猛氏が大絶賛したが、それは右手を痛めてやむなく左手で描いたものだったので、褒められて複雑な気持ちになった話。柴田錬三郎の時代小説の連載で挿画を担当していた横尾さん、作者の都合で休載になった回には柴錬がホテルのロビーでコーヒーを飲んでいる絵を描いた、とか。数多の文士の顔を描いてきた横尾さんがポツリと漏らす「川端康成もいいが、谷崎潤一郎の方がいいかげんさにすごみがある」という言い回しにニヤリとする。

妄想の酒場で酒井さんに聞いたエピソードのかけらが、いつまでも胸に残って温かい。
この記事の中でご紹介した本
横尾忠則さんへの手紙/光村図書出版
横尾忠則さんへの手紙
著 者:酒井 忠康
出版社:光村図書出版
以下のオンライン書店でご購入できます
「横尾忠則さんへの手紙」出版社のホームページはこちら
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