金石範評論集Ⅰ 文学・言語論 書評|金 石範(明石書店)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2020年1月11日 / 新聞掲載日:2020年1月10日(第3322号)

金石範評論集Ⅰ 文学・言語論 書評
自問、抵抗、返答―日本語によって日本語を解放すること
日本語で朝鮮が書けるのか、済州島四・三事件を書けるのか

金石範評論集Ⅰ 文学・言語論
著 者:金 石範
編集者:姜 信子
監修者:イ・ヨンスク
出版社:明石書店
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 二巻になる予定の『金石範評論集』のうち「Ⅰ文学・言語論」が刊行された。金石範が本格的に日本語による創作を開始した一九七〇年代の言語理論から、『火山島』全巻の韓国における翻訳刊行という近年の「事件」に至る時期の文学論が収録されている。日本語で朝鮮が書けるのか、済州島四・三事件を書けるのか――本書からは、全七巻にわたる『火山島』の執筆が、この問いを絶えまなく自らに突きつけながらなされたということが重く伝わる。作品そのものがこの自問に対してなされた持続的な抵抗であり返答だったのだ。

書かずには耐えられぬ何ものかの力が言葉を求める。その言語化の過程はことばの選択の余地を与えない。この意味で在日の生活で身につけた日本語は表現者にとって取り換えのきかない言語にほかならない。朝鮮語で書くこともできたにせよ、それでも氏は運命のように日本語文学の書き手となった。その日本語は、かつての支配者の言語であり、朝鮮語を奪われ、かわって強制された暴力の痕跡である。日本語の内に長い歴史の中で培われて来た日本人の感情、感覚がこめられ、思考の様式がそなわっているのであれば、それによって創作を行う作家は自らの意志にかかわりなく日本語に支配され、その分だけ朝鮮的なものを失っていくことになるのだろうか。自分にとってたった一つの言葉が、他者の言語であることの深甚な恐ろしさに耐え、その恐怖を食い破るべく書かれたのがこの作家の日本語文学である。自分の内側に日本語があり、その日本語でもって朝鮮を表現しなければならない、できないなら書くことそのものを止めねばならない。この突き詰めた自覚を刻みつけた思考の軌跡は、文学言語にとって根源的なものの感触を――したがって普遍的なものの在処を〈私たち〉に告げている。

金石範の文学的営為は、日本語によって日本語を解放することに賭けられた。たった一つの言葉を、それでもなお他者の言語とみなすための拠点を自らの内に確保する。そうして自らの内にある日本語に対して距離を置く。このとき自分の内部と外部は単純な対立概念では全くない。自分自身から身を引き離そうとする不断の抵抗と緊張感の持続によってのみ自分自身が維持されるのである。金石範の〈朝鮮〉は、そのようにして日本語によって日本語の外に脱出し、言語の内の翻訳可能の普遍的要素を前提にして表現された。日本語に食われ、しかもなおその鉄の胃袋を食い破って出て来る〝ブルガサリ〟のように、と氏は書いている。日本語を日本語自身から解放し、変容させる言語論、そして自由を獲得する言語論なのだ。

この理路にあって文学的想像力は不可欠の契機である。言語の力によって一個の建築物のように構築された虚構空間が成立するとき、その言葉は単なる事実の引き写しではなく、自らを拘束する現実から自立した言葉となるのだ。一つの現実が牢固としてあるとき、それと対峙し、覆し、超える力がすなわちフィクションなのである。したがって現実に癒着した文学、言語と対峙する緊張感を欠落させた文学には、自由のかけらも望めない。

東アジア冷戦構造のもと、日本に身を置く金石範は、韓国が民主化に踏み出した一九八八年に至るまで、現実的に故郷済州島に行き来する自由を持たなかった。だから現実の済州島を直写することはできず、島を逃れてきた人の重い口からもれる証言だけが、想像力の唯一のよすがとなった。さらに、むしろ現場である韓国でこそ済州島を語ることができなかった。一九四八年の四・三は、朝鮮半島分断を食いとめるべくなされた民衆蜂起の日付であり、かつこれを弾圧した軍警、右翼集団の苛烈な暴力が火ぶたを切った日付である。分断国家の創設前夜に起った抵抗、そしてこれに対し行使された暴力は、その国の正史の闇に沈められる。語ること、悼むこと、記憶することさえ許されない出来事は、ただ「亡命文学」の空間で、実際には日本という場でかろうじて言語化され、文学作品として結実した。歴史の中に存在できず、そこから隔てられた場でのみ書かれた文学、それは想像力を必須の要因とする文学である。現実を写す言語ではなく、世界を生成する言語を得て、その文学は成立した。

かくして、金石範の文学と文学理論は、言語論と想像力論、東アジア冷戦の歴史の矛盾の集中的表現として成立している。本書を通じて日本語の呪縛から自らを解放し、その日本語を普遍的なものに変質させる文学的な営為をたどり直すとき、私たち、つまり日本語を空気のように、魚にとっての水のように感じ、ことさら意識にのぼらせる必要のない者たちは畏怖の念を禁じ得ない。それは「日本文学」がついに思考することのできなかった普遍性の在処を指し示しているのだから。そしてまぎれもない日本語論なのだから。負の歴史を堆積させた日本語から身を引き剥がし、別のやり方で思考する術を学ぶべきなのは、むしろ私たちではなかっただろうか。日本の植民地支配の無倫理性を繰り返し想起することが大前提となるばかりではない。四・三が歴史の闇の中に置かれていた期間、日本は自分たちを平和と経済的繁栄の国として思い描いた。同じ時代に韓国で、沖縄で、あるいは台湾でどんな歴史の苦悩があったのか、そこに生きる人々によってどれほど豊かな抵抗運動の文化が生まれたのかを私たちはほとんど全く認識してこなかった。冷戦下の国家暴力と対抗運動という観点から東アジアのこうした地域を一体の構造として見たときに、日本の平和と繁栄、自分の言葉がそのまま国家の言語であることの「幸福」が、一挙に不気味な空洞感をたたえ始める。『火山島』の主人公は、自由な人間は人を殺さないと言った。そう意識することなく人を殺す構造の中で生きているのだとしたら、私たちはやはり自由ではない。

ここで言及できなかった「記憶の自殺」をめぐる恐ろしいエピソード、「政治と文学」の原理論、「翻訳」の思想など、本書は他にも重要な論点を含む。「朝鮮籍」の思想は改めて「Ⅱ」に収録されることになるだろうか。思想と文学とが分かちがたく結びついた評論集の完結が待ち遠しい。
この記事の中でご紹介した本
金石範評論集Ⅰ 文学・言語論/明石書店
金石範評論集Ⅰ 文学・言語論
著 者:金 石範
編集者:姜 信子
監修者:イ・ヨンスク
出版社:明石書店
以下のオンライン書店でご購入できます
「金石範評論集Ⅰ 文学・言語論」出版社のホームページはこちら
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