魔王 書評|伊坂 幸太郎(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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【書評キャンパス】大学生がススメる本
更新日:2020年1月11日 / 新聞掲載日:2020年1月10日(第3322号)

伊坂幸太郎著『魔王』

魔王
著 者:伊坂 幸太郎
出版社:講談社
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魔王(伊坂 幸太郎)講談社
魔王
伊坂 幸太郎
講談社
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 「考えすぎで死ぬなら、俺は百回くらい死んでるよな」

この言葉が今でも頭から離れない。たった一行の台詞だったが、これは私そのものだと思わずにはいられなかった。私の読書人生はここから始まったと言い切れる。

これは、物語の主軸となる人物安藤が、弟の潤也に「兄貴は相変わらず、無駄なことをたくさん、考える」と言われ、返した言葉である。私自身、「それは考えすぎだよ」と周囲の人間から呪文のごとく言われてきた。考えすぎで死ぬなら、私もきっといくつ命があっても足りない。仲間がここにいたのだと、少し安堵した。

タイトルの『魔王』は、シューベルトの楽曲「魔王」に因を持つ。楽曲の中で、子どもは迫り来る魔王の存在に怯え叫び、その存在を何度も父に訴えかけるが、結局、子どもは死んでしまう。

安藤は、その子どもそのものである。カリスマ的政治家犬養に誘導されていく国民に、一種の洪水のような流れに、彼ひとりが危惧し、恐れ、憂いていた。が、結局その声が届くことはなかった。犬養の街頭演説を目の前に、最期を迎えたのだ。彼は考えすぎで、死んでしまった。

本書には、安藤が主人公の「魔王」と、その五年後の世界を描く弟の潤也が主人公の「呼吸」の二篇が収録されている。「呼吸」では、野党の少数党だった犬養率いる未来党は、幾度かの選挙を経て政権を握り、犬養は首相に上り詰め、憲法改正の国民投票へ踏み切っている。ここまで書くと、なんだ政治小説かと敬遠する人がいるかもしれない。しかし、この物語の主題は「ファシズム」やら「憲法改正」ではない。そんな社会の一面的な話より、もっと人間の根源に近づいたものである。逆らえないような大きな流れに対し、自分の考えを信じ、戦うことができるか。たとえ流れを止められずとも、その中で大事なことを忘れずにいられるか。安藤兄弟の生き方そのものに、物語の核は存在する。

ここでひとつ、印象的なシーンを紹介したい。国内の反米思想が高まり、アメリカ発祥のファストフード店が次々と放火に遭っていた。そして、安藤の家の近くに住むアメリカから日本に帰化した友人、アンダーソンの家までもが放火の被害に遭ったのだ。「あれは、アンダーソンの家で、アメリカじゃない」。安藤の悲痛な叫びも届くことはなく、そんな当たり前のことにも気づけなくなってしまった人たちがいた。あり得る。大いに現実にもあり得る。私は身震いした。「錯綜する大量の情報のどれが正しくて、どれが誤っているのか、俺たちは選択できているのか?」。いいや、彼らは自分で考えることをやめたのだ。

「知らぬ間に、大勢の人間が束ねられていくことはあるはずだ。有能な扇動者とは、その、本人たちが気づかないような流れを、潮を、雰囲気を作り出すのが巧みな者のことを言うのではないだろうか」「ムードとイメージ、世の中を動かすのは、それだ」と安藤は言う。周囲を取り巻く政治に纏わる思想の、何が正解で何が間違いか。それは誰かが決めるものではなく、明確な答えがあるわけでもない。しかし私たちは、自分で考えることをやめてしまったとき、魔王の手によって思いもよらないところへ着地してしまう。気づいたときにはもう、後戻りできないくらいに……。

最後に注目してほしいのは、この小説が世に出たのは今から約十五年前だということだ。私には、ここに描かれている計り知れないほどの大きな流れやムードが、着々と作られている気がしてならない。

魔王の足音が、聞こえる。
この記事の中でご紹介した本
魔王/講談社
魔王
著 者:伊坂 幸太郎
出版社:講談社
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