対談=将基面貴巳×宇野重規 真の愛国―何のために生きるのか 『愛国の構造』『日本国民のための愛国の教科書』をめぐって|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月10日 / 新聞掲載日:2020年1月10日(第3322号)

対談=将基面貴巳×宇野重規
真の愛国―何のために生きるのか
『愛国の構造』『日本国民のための愛国の教科書』をめぐって

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愛国の構造(将基面 貴巳)岩波書店
愛国の構造
将基面 貴巳
岩波書店
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オタゴ大学教授(政治思想史)の将基面貴巳氏が、二〇一九年に『愛国の構造』(岩波書店)、『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房)と、二冊の「愛国」をめぐる本を上梓した。「愛国」という言葉に、どこか胡乱なものを感じてしまうのはなぜだろう。そもそも「国を愛する」とは、どういうことなのか。対談のお相手を東京大学教授(政治思想史)の宇野重規氏にお願いし、たっぷり語っていただいた。  (編集部)
第1回
なぜいま「愛国」か?

将基面 貴巳氏
宇野 
 ニュージーランドにお住まいの将基面さんが、「愛国」というテーマで二冊の本を出されました。ハードなアカデミズムの一冊と、日本の特に若い人々に対して呼びかける易しい一冊です。なぜいま日本語で、「愛国」をめぐる二冊の本を出されたのでしょうか。
将基面 
 『愛国の構造』を先に書き、『日本国民のための愛国の教科書』(以下、『愛国の教科書』)はその副産物です。「愛国」が、英語圏で政治を語る言葉として復活を遂げていることは、試みに英国のガーディアン紙のデータベースで検索したところ、数字的に裏付けられました。昨今の日本についても、雑誌データベースで、戦中に勝るとも劣らない頻度で、「愛国」という言葉が用いられていることが分かりました。しかし「愛国」という概念は、的確に理解され論じられているのだろうか、といえば、日本が好きだとか、日本人でよかったとか、日本人なら当然のように湧いてくるべき感情として流布しているのです。

そういう状況下、佐伯啓思『日本の愛国心』、姜尚中『愛国の作法』が刊行されています。この二冊は平成時代を代表する愛国を論じた本だといえますが、ある種の啓蒙書であり、包括的・体系的な議論を指向する類のものではありません。全世界的にも愛国に関する、包括的な本が出ていない。

その反面、政治哲学、道徳哲学、文学、歴史学、教育学、心理学……と様々な分野で愛国について論じられています。ならば、歴史的な言説を網羅して、愛国という概念それ自体を真正面から取り扱う本が必要ではないかと。そう考えて書いたのが『愛国の構造』です。

さらに、日本において「実現すべき祖国」とは何か考えるための、ごく平易な本を、一般読者に向けて書く必要があるのではないか。そう思って作ったのが『愛国の教科書』でした。個人的な話ですが、藤原肇さんという国際ビジネスマンが、一九八〇年に出された『日本脱藩のすすめ』という本に、高校生だった私は非常に啓発されました。藤原さんの生き方に共鳴し、私なりに模倣して、これまで生きてきたところがあって、それに似た本を若い人に向けて書いてみたいと、そういう意図もありました。
宇野 
 「脱藩のすすめ」も論点の一つですね。後ほど話せればと思います。

いまのお話で、本を出された意図が理解できました。日本では昨今、ある種の「愛国」現象が起こり、関心も高まっているように思います。でもこの現象、なかなか複雑ですよね。『愛国の教科書』の中で、「ぬくぬくナショナリズム」と批判的に表現されていましたが、殊に二〇一九年には天皇の即位行事があり、日本礼讃の言説が溢れました。皇室の伝統がある日本はすごいよね、日本は特別な国だよねと。もちろん、日本の一部の文脈でのことですが。そうした日本礼讃は、明確な現状分析に基づくものではなく、日本は日本であるからよいという、トートロジーでしかない。こうした情に掉さす言説は、愛国者以外を「反日」という言葉で敵視することにもなっていく。これは真の意味での愛国ではないということですよね。

しかしなぜいま、疑似愛国的な言説が溢れていると分析されますか。
将基面 
 アイデンティティを補助線とすると分かりやすいのですが、戦後日本のナショナルアイデンティティの根拠は、経済的成功にあったと思うのです。しかし一九九〇年代以降、「失われた三〇年」に、エコノミックパワーとしてのアイデンティティは消えてしまいました。

イギリスの論客デイヴィッド・グッドハートは、現在のイギリスに、「どこでも派」と「どこか派」の二極分化が起こっていることを指摘しています。「どこか派」とは教育水準が相対的に低く、経済的にも成功を収めていない人々です。そういう人たちはイギリス国内から出られない。あるいはイギリスの中でも一部の地域でしか生きていけない。一方、教育水準が高く、経済的に成功を収めていて、どこにでも住むことが可能なコスモポリタンな人たちがいる。そのような分化の中で、イングリッシュナショナリズムとブレグジッドの現象が、同時に浮上してきたのだと。

これが、現代日本にどの程度当てはまるか分かりませんが、少なくとも日本でも貧困や格差は強まっていて、経済的・社会的な環境を誇れる状況は失われています。つまり別の何かにアイデンティティを基礎づける必要があって、日本人はすごい、日本は特別だ、という根拠のない愛国言説が出てくる。

ナショナルアイデンティティにどっぷりつかっているのは、心地がよいものでもあります。「ぬくぬくナショナリズム」とは、皆と一緒にいて、自分は一人ではないという安心感を得ることです。これは仮説に過ぎませんが、日本に「愛国」を巡る言説が溢れているのは、その辺りに理由がありそうな気がしています。
宇野 
 興味深いご指摘です。大きく分けて「どこでも派」と「どこか派」がいると。グローバル化が進む中、勝者たちは世界のどこにでも行けてどこででも活躍できますが、正直そういう人は、世の中のごく一部でしょう。多くの人たちは、どこかでしか生きていけない。あるいはどこででも生きていけない。「どこか派」あるいは「どこでもない派」の人々にとって、自分は一人ではないという帰属心の対象として、求めるものがあるのだと。腑に落ちる話でした。
将基面 
 さらにいうと、自国民であることの喜びを噛みしめるような言説が、ニュージーランドにはないんです。ニュージーランド人でよかった、というニュージーランド人に会ったことがありませんし、そうした所感がメディアで見聞されることもありません。そこにもアイデンティティの構造の差が影響しているのではないかと思うのです。小熊英二さんの『単一民族神話の起源』ではないですが、日本には、日本人は均質な民族だという一般通念があります。 一方、ニュージーランドでもネイションは築かれていますが、現在活躍している人にも移民が多いですし、マオリに対してパキハと呼ばれる、ヨーロッパ系ニュージーランド人のルーツは、スコットランドやイングランド、ウェールズなど、複数あるのです。
宇野 
 ニュージーランドには、ブリテンのコモンウェルスの一国という意識があるのかもしれませんね。

逆に考えてみると、ニュージーランドにとってのコモンウェルスのような存在が、日本にあるのかどうか。例えば東アジア文化圏の一国としての日本人、というアイデンティティがあるのかというと、微妙ですよね。

日本にも外国人労働者が増えていますが、多文化社会を受け入れる中で、新しい日本のナショナルアイデンティティを形成する、というような積極的な努力がなされているかというと、そちらには向かえていない。その間の混沌の中で、何の理路もなく、日本礼讃が渦巻いているというわけですね。
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この記事の中でご紹介した本
愛国の構造/岩波書店
愛国の構造
著 者:将基面 貴巳
出版社:岩波書店
「愛国の構造」は以下からご購入できます
日本国民のための愛国の教科書/百万年書房
日本国民のための愛国の教科書
著 者:将基面 貴巳
出版社:百万年書房
「日本国民のための愛国の教科書」は以下からご購入できます
「日本国民のための愛国の教科書」出版社のホームページはこちら
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