花田清輝・岡本太郎往復書簡――『今日の芸術』をめぐって 『読書タイムズ』1954(昭和29)年8月5日号 1面掲載|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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更新日:2020年1月12日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第107号)

花田清輝・岡本太郎往復書簡――『今日の芸術』をめぐって
『読書タイムズ』1954(昭和29)年8月5日号 1面掲載

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読書タイムズ
1954(昭和29)年8月5日号1面より
ピカソ、マチス、ブラック、ルオーとここ二、三年次々とひらかれた名作展は、日本の大衆の間に自ら絵筆を握りたいという、かつて見ない意欲の高まりをひき起した。それらの日曜画家にとって岡本太郎の新著『今日の芸術』(光文社・二七〇円)はこの上もない開眼の書である。全六章のうち第一章で問題点を明らかにし、以下「分らないということ」「新しいということは何か」「芸術の価値転換」では、枠にとらわれた意識を徹底的に解放するため、旧い形式的な絵とアヴァンギャルド芸術を、身近な問題を例にして解説し、歴史の法則にてらして「新しい」ということは人間の当然の歩みであることをのみこませる「絵はすべての人の創るもの」は、誰でも描けることを、ゴッホ、ゴーギャン、ルッソ―やピカソを例に説き、「自由の実験室」という小項目で、一家そろって自由な気持で描く愉快な場面を示して、上手下手をのりこえたところに本当の芸術のあるところを語る。最後に「われわれの土台はどうか」で日本文化の特殊性を書くことで日本人が知らずしらず身につけているとらわれた魂をはだかにしてみせる。以下の花田清輝氏と著者の往復書簡は、人生論を含むこの新しい芸術論の核心を読者の前にくりひろげて見せるだろう。(編集部)

※「読書タイムズ」は「週刊読書人」の前身の新聞で、1954年~1958年まで刊行
第1回
藝術の殿堂へ“デモ”――秀れた大衆開眼の書

花田 清輝
往信

先日は、お葉書ありがとう。丁度、返事をかこうとおもってたところだったので、うっかり、この手紙をひきうけちゃったが、本の批評をしなければならんのは、あんまりゾッとしないねえ。きみの本の悪口だけは、断じてぼくはいいたくないんだが、いつもの習慣をやぶって、あっさり手ばなしでほめあげたりすると、ベスト・セラーにならないかも知れん。とにかく、いままでの経験では、ぼくのボロクソにいう本は、みんなベスト・セラーになるんだ。つい最近も、「火の鳥」というのを、めちゃくちゃにやっつけてくれたが、おかげであの愚作も、だいぶ版を重ねたらしい。悪口はいいたくないが、とぶように、売れてはもらいたいし、どうも困ったねえ。

さっき夕刊をみたら、いまアメリカでは米韓両大統領の会議がひらかれている。このところ、会議会議で始終会議にひっぱりだされ、すっかり会議に食傷してるぼくはむろん、そんな会議にはなんの興味もなかったが、ふとそのニュースの一隅に、きみの同志らしい人物を発見してガゼンうれしくなってしまった。見出しには「老朝鮮人の一人デモ」とあったが、会議のひらかれている最中、ホワイトハウスの正面前の歩道を、「朝鮮から手をひけ」というような文句をかいたプラカードをもった老朝鮮人が、ゆうゆうと炎天下を行ったり来たりしながらたった一人でデモをやっていたというのだ。

べつだん、強引にむすびつけるわけではないが、なんだかぼくには、きみの『今日の芸術』と、右の一人デモとのあいだには、きってもきれない血のつながりがあるような気がしてならないんだ。たった一人でプラカードをかついでデモをやったりすると、サンドウィッチ・マンとまちがえられるおそれがあるが、そんな心配なんかけとばして、きみは、わき眼もふらずあるきつづけてる。芸術の世界にも、政治の世界と同様、ホワイト・ハウスがある。そこでまた、アイクや李承晩のような偉大な連中が、大衆の注目をあびながら、たえず会議をひらいてる。(なにしろ、ぼくみたいな、人づきあいのわるいやつまで動員されるのだから、まったく「会議は躍る」だよ)。

ところが、きみが、たった一人でプラカードをかついで、やつらにデモをかけたんだ。芸術の殿堂から秘密のヴェールをひっぱがし、会議の内容のばからしさを、白日の下にさらけだしたんだ。この本が、どんどん、読まれたら、昨日の権威なんか一瞬のうちに消しとんでしまうだろう。ぼくもついふらふらと、会議なんかやめちゃって、一人デモのほうに転向しようかなあ、とおもったほどだよ。
この本のなかには図版がどっさりはいっていてたのしいが、特に建築の写真はおもしろかった。ギリシヤの円柱と三井銀行本店、近代建築と三菱村の風景の並んでるところなど、日本の金融資本の古めかしさを、きわめて即物的に表現してる。じっさい、近ごろの逆コースというやつは、帰するところ、こんな時代おくれな独占資本がふたたび完全に産業を支配しはじめたおかげだからね。

経済も政治も芸術もみんな、つながってる。どこにも一握りのボスとボスのいいなりほうだいになってる大衆がいる。きみの『今日の芸術』は、単に芸術の世界ばかりではなく、いたるところで、大衆の眼のウロコをおとすだろう。しかし、あんまりほめあげてると最初にもいったように、逆効果をまねくおそれがあるので、ちょっと一言するが、この本の「あります」調はどうもなんとなくピッタリしない。中村光夫ならいいが、きみにはどうも似合わんね。近ごろでは、先生がつかってるようだが、もともとあれは兵語体といって、軍隊でつかわれてきたスタイルなんだ。(はなだ・きよてる=文芸評論家・作家)
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